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<title>大泉千路のブログジャーナル</title> 
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<modified>2010-03-15T11:34:39Z</modified> 
<tagline><![CDATA[ブログジャーナリスト・大泉千路オフィシャルサイト]]></tagline> 
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<title>想う心の欠如を感じる「酔っ払いなんかけっ飛ばせ!」</title> 
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<modified>2010-03-15T02:32:37Z</modified> 
<issued>2010-03-15T11:26:36+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">　今月いっぱいでの『インターネット新聞JanJan』休刊まで3週間を切った。休刊直前には多数の投稿で込み合うことが予想されるため、今はできるだけ早く、長いイベントの紹介記事を書き上げようと、寝る間を惜しんでパソコンに向かっている。だが先日『JanJan』に掲載されたあ...</summary> 
<dc:subject>日々雑感</dc:subject>
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<![CDATA[　今月いっぱいでの『インターネット新聞JanJan』休刊まで3週間を切った。休刊直前には多数の投稿で込み合うことが予想されるため、今はできるだけ早く、長いイベントの紹介記事を書き上げようと、寝る間を惜しんでパソコンに向かっている。だが先日『JanJan』に掲載されたある記事を読んだことをきっかけに、それらの長編記事の執筆作業を中断して今回の記事を書き始めた。私が読んだその記事は、鈴木喜志子氏の「<a href="http://www.janjannews.jp/archives/2836480.html">酔っ払いなんかけっ飛ばせ!</a>」という記事である。あくまで個人的ではあるが、この記事は共感する部分とそうでない部分がはっきりとしている。例えば、氏に共感する部分は次の一節である。<br>
<br>
　〈最近では飲酒運転に対する罰則が強化されたとはいえ、日本は酒を飲んで酔っ払うことに対して比較的寛容である。酔っ払ってとんでもないことをしでかしても「酒の上だから…で」許されてしまう。会社や大学の飲み会で一気飲みと称して酒の飲めない人に酒を強要する習慣があり、その結果急性アルコール中毒で亡くなる人が後を絶たない。酒を飲む機会が多い春先や年末になると救急車の出動回数が一気に増える。<br>
<br>
　そういった日本の悪しき伝統を断つ目的でアルコール・ハラスメント（酒にまつわる嫌がらせ、人権侵害。略してアルハラ）という言葉が聞かれるようになった。アルコール・ハラスメントは肉親や配偶者をアルハラによって亡くした人たちが設立した市民団体が提唱した和製英語である。日本人のアルコールをめぐる意識も少しは欧米並みに近づいたようだ。酒の飲めない人たちや私のような下戸にとっては大変心強い運動である。〉（「酔っ払いなんかけっ飛ばせ!」『JanJan』2010年3月9日付）<br>
<br>
　ここで鈴木氏が指摘しているように、お酒に弱い社員や学生がその場の空気にのまれて大量のアルコールを摂取した結果、急性アルコール中毒が原因で亡くなる一気飲み事故が起きている。こうしたなかで、一気飲みによって子を失った親が設立した「イッキ飲み防止連絡協議会」がアルハラ防止の呼びかけを盛り上げているという。その運動では「飲まザル」や「アルハラ・ヤダピョン」といったキャラクターが印刷されたチラシやコースターなどが配布されている。以前、自らの意思表示を可能とするコースターの配布を報じるネット記事を読み、私自身氏と同様「酒の飲めない人たちや私のような下戸にとっては大変心強い運動」と思ったひとりだ。<br>
<br>
　ただ、このアルハラ防止運動以降の記述には、氏の言葉を借りて言えば「私はどうしても納得できない点がある」。01年1月26日、JR新大久保駅でホームから転落した酔っ払いの男性を助けようと2人の男性が線路に飛び降り、その後3人とも列車にはねられて亡くなった。氏はこの痛ましい事故の経緯と背景を紹介したうえで、「ホームで酒を飲んで酔っ払えば線路に落ちる危険がある。駅のホームという危険と隣り合わせの場所でなくても、酒を飲む場所ならほかにいくらでもある。そんな常識のない人間を命を投げ出してまで助けることがそんなに立派なのだろうか?」（前出「酔っ払いなんかけっ飛ばせ!」）と指摘している。<br>
<br>
　私はこの言葉を聞いて、ふと何故か以前地方紙で読んだ連載コラム「水の透視画法」の一記事のことを思い出した。コラム記事の筆者は、作家でジャーナリストの辺見庸氏。ある日辺見氏が乗っていた電車内で、吊り革にかつかまっていた男性が何か影のような黒い吐瀉物を吐き、床に崩れて膝をついた。氏はそれを見た乗客たちの様子を次のように描いている。「乗客たちがひくくどよめいた。と同時に、影を吐いた男をのぞいて、みなが風紋のように規則的に動作を展開した。その場をいっせいにすばやくはなれ、車両の隅や別の車両に移動したのだ」（「水の透視画法（45）吐く男とさする青年」『山梨日日新聞』2010年2月10日付朝刊）<br>
<br>
　身体が不自由な辺見氏は、「お体のご不自由な方」用の優先席に座って息をつめていたという。すると、眼鏡を掛けた一人の若い男性が吐く男性の背をさすり、大丈夫ですか苦しいですかと声を掛けた。その若い青年は「眼のはしに2人を入れながら見えないふりをする」乗客たちに眼鏡の奥から助力を訴える。だが他の乗客は誰一人動くことはなく、青年はひとりで老人をシートに余横たえ、かき集めた新聞紙で吐瀉物を片づけた。その作業を終えた青年は仁王立ちになり、遠巻きに見つめる乗客たちに突然大声で問いかけたという。<br>
<br>
　問い掛けられた乗客のなかにいた辺見氏はこう言う。「川の光とあの叫びは私のなかでいまも宙づりになってゆれている」（同上）。私も辺見氏のコラムを読んで、しばらくの間この青年の言葉が頭から離れなかった。記事中の老人は酔っ払いではなかったかもしれないが、乗客の様子から感じる想う心の欠如は、前記した「酔っ払いなんかけっ飛ばせ！」からも感じられる。ゆえに私はこの記事の筆者である鈴木氏に贈りたい。若い青年が他の乗客に問いかけた「アナタタチハ、ハカデスカ。ハカデスカ」という言葉を、である。<br>
<br>
　雑誌『PHP』2010年2月号のなかでNPO法人「ANT-Hiroshima」代表の渡辺朋子氏は、修道女マザー・テレサの「愛の反対は憎しみではなく無関心です」という言葉を紹介したうえで、人が愛を育み無関心でいられなくなるのは人や世界を想うときだと指摘している。「アナタタチはハカデスカ、ハカデスカ」と他の乗客に詰問した若い男性、酔っ払いを助けようと線路に飛び込んだ男性たち。この記事で紹介した男性たちは、関わりたくないと無関心を装わずにあえて老人や酔っ払いを助けようとした。そうした行動は美談云々ではなく、ただ単純に人を想う心が強かったのではないか。<br>
<br>
　先述した鈴木氏は、「この事故を美談として片づけるのではなく、アルコールとの正しい付き合い方を考える契機とすることが、関根さんと李さんの無念の死に報いる最善の方策であると私は信じる」と書いて記事を締めくくっている。私はこの指摘を否定するつもりはないが、これに加えてほんの少しでもいい、あえてその行動を起こした彼らの思いを考えることを挙げたい。かくいう私もその時彼らがいかなる思いであったかを考えながらこの記事を書き上げた。人一倍人を想う力が強かったであろう彼らに思いを馳せることもまた「関根さんと李さんの無念の死に報いる最善の方策」だと私は思う。<br>
<br>
<DIV align=right>（「<a href="http://www.janjannews.jp/archives/2882954.html">想う心の欠如を感じる『酔っ払いなんかけっ飛ばせ!』</a>」『JanJan』2010年3月15日付より）</DIV>]]> 
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<name>ooizumichiji777</name> 
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<title>なぜ記者クラブ問題ではウソがまかり通るのか</title> 
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<modified>2010-03-05T23:36:31Z</modified> 
<issued>2010-03-03T19:50:48+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:ooizumichiji777.51704048</id> 
<summary type="text/plain">　はじめに
　〈（引用者注、記者クラブ問題に対して）市民記者や一般の人々の関心が高まることは、「援護射撃」としては大いに心強いことではあるが、あくまで組織側・開放側を問わず、職業記者たちの泥臭い実情を知らず、机上論だけでは到底打破できない困難さが横たわっ...</summary> 
<dc:subject>メディア</dc:subject>
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<![CDATA[　<b>はじめに</b><br>
　〈（引用者注、記者クラブ問題に対して）市民記者や一般の人々の関心が高まることは、「援護射撃」としては大いに心強いことではあるが、あくまで組織側・開放側を問わず、職業記者たちの泥臭い実情を知らず、机上論だけでは到底打破できない困難さが横たわっているのも一方の事実である。「餅は餅屋」ではないが、最後の落とし前は、これで生活しているプロしか付けられないのだ。〉（「<a href="http://www.keiichiroasari.com/archives/50066899.html">記者クラブ開放は、それ自体が『目的』ではなく、職業記者にとって避けては通れぬ『手段』である</a>」『浅利ヘタレ通信』2010年1月7日付）<br>
<br>
　上に引用したこの文章は、ジャーナリスト浅利圭一郎氏のブログ『浅利ヘタレ通信』に掲載された記事の一節である。といっても、これら浅利氏の指摘を批判するために、ここで氏の文章を引いた訳ではない。むしろ、「最後の落とし前は、これで生活しているプロしか付けられない」との言葉にネットメディアの一市民記者として激しく同意している。氏が指摘するように、ペン1本で自らの生計を立てるプロのジャーナリストにしか最後の落とし前を付けることはできまい。我々市民記者やブロガーは、これらのジャーナリストを援護射撃することしかできない、否、それ以上のことをしてはならないのだと私は思う。<br>
<br>
　その一方で、市民記者やブロガー、一般市民が援護射撃を続けるプロのジャーナリストに果たしてそれが可能であろうか、と危惧の念を抱いてならない。というのも最後の落とし前を付ける以前に、テレビやラジオなどでの強大な影響力がありながら、まったく根も葉もないウソを言って憚らないジャーナリストが存在する。それはあくまで一部の人間に過ぎないが、先に述べたように彼らはその発言に強い影響力を持っている。その影響力は、私のようなアマチュア記者の何十人、いや何百人分と言っても過言ではないはずである。<br>
<br>
　そうした彼らが語る記者クラブ問題のウソを批判したところで、何かがひとつ変わることさえないのかもしれない。それを承知の上で、この問題に対するジャーナリストの事実誤認や思い込みを白日の下に晒したいと思う。この記事には、タイトル通り「なぜ記者クラブ問題ではウソがまかり通るのか」という強い思いが込められている。私と同じく記者クラブ問題に関心を持っている多くの人々に、以下に紹介するこの問題の裏側に潜むウソを知っていただけることを願ってやまない。そして、この記事に登場するプロのジャーナリストには、もしそれは違うと思うならば私の軽薄な指摘を突いてもらえればと思っている。<br>
<br>
　ちなみに、この記事のテーマとする「ウソ」ひとつ取ってみてもいくつかの意味がある。例えば、新村出編『広辞苑第6版』（岩波書店）で引いてみると、ウソにはそれぞれ3つの意味があることが分かる。記事中で紹介するウソに当てはめて考えてみると、まず1つ目のウソが「（1）真実でないこと。そのことば。いつわり」、2つ目のウソは「（2）正しくないこと」、最後3つ目のウソは「（3）適当でないこと」、という意味に当てはまる。ウソという言葉には偽りで真実でないこと以外にも、正しくないことや適当でないことという意味がある、ということを頭の片隅に置いたうえでこの記事をお読みいただければ幸いである。<br>
<br>
　<b>「田中さんが記者クラブを廃した」とする1つ目のウソ</b><br>
　昨年12月、市民運動団体「人権と報道・連絡会」の主催で、「官僚・メディアと新政権―記者クラブ廃止に向けて」というシンポジウムが都内で行われた。シンポジウムのパネリストは、元毎日新聞記者の西山太吉氏やジャーナリストの上杉隆氏、英国インディペンデント紙特派員のデイビッド・マックニール氏、衆議院議員の田中康夫氏の4人。その日私はどうしても外せない他用があったため、このシンポジウムに参加することはできなかった。このシンポジウムに参加したフリーライターの山本ケイ氏によると、司会を務めたジャーナリストの浅野健一氏が最後に次のように語り、このシンポジウムを締めくくったという。<br>
　<br>
　〈田中さんが記者クラブを廃して全ての人が表現者であるとしたことは印象強くジャーナリストには特権があるわけでなはい。日本の大マスコミは自分たちは特権があるんだと考えているのであり、その象徴が記者クラブではないかと思う。今後もこのことについて考えていただきたい。記者クラブを廃止するだけでは解決しないが、廃止することでジャーナリズムの再生につながると思う。長野県でやったことを官邸でもやるべきだ〉（「<a href="http://www.news.janjan.jp/media/0912/0912134328/1.php">記者クラブ廃止、出来るか出来ないかでなく『やるかやらないか』</a>」『JanJan』2009年12月14日付、原文ママ）<br>
　<br>
　山本氏の証言によれば、シンポジウムでの田中康夫氏の発言を挙げた浅野氏は、「田中さんが記者クラブを廃して全ての人が表現者であるとしたことは印象強く」とそれが事実であることを前提に話している。だが、浅野氏が語るその前提自体がそもそも崩壊しているとしたらどうだろうか。県知事時代の田中氏が発表した「脱・記者クラブ」宣言で県庁内の記者クラブ室が廃止され、知事らの会見は記者クラブ主催から県主催に変わった。しかし、この宣言は浅野氏の言うような記者クラブという任意組織自体を廃止するものではない。知事会見の主催権が記者クラブにあることが問題であり、時の県知事であった氏はその問題点をひとつ正したに過ぎない。<br>
　<br>
　確かに、田中氏の「脱・記者クラブ」によって、すべてのメディアや一般市民の会見参加が可能になったことは正当に評価されるべきだ。だが、知事会見に参加することは誰でも可能だったが、会見場の常連で厳しい質問を投げかける取材者は、田中氏からほとんど指名されることがなかった。それにも関わらず、上に紹介した氏の良い面ばかりを喧伝し、「長野県でやったことを官邸でもやるべきだ」などと語る浅野氏には何をか言わんやとの一言である。田中氏に対する氏の評価は、私の言う「正当な」評価からは大きくかけ離れた過大評価だと言わざるを得ない。<br>
　<br>
　以下に紹介するジャーナリストのウソと異なり、浅野氏の言う「田中さんが記者クラブを廃した」とのウソに悪意を感じるのは私だけだろうか。そう、記者クラブ改革という目的のために長野県の例を過大に評価する悪意をである。ブログ「追撃コラム&取材メモ」主宰の奥秋昌夫氏は、「記者クラブ制度の改革を望むあまり、事実と違うことを例に取り上げるのは改革から遠ざかることです」（「<a href="http://www.news.janjan.jp/media/0911/0911243573/1.php">新政権下で強まる記者クラブ批判</a>」コメント欄より）と指摘しているが、氏の指摘にまったく同感である。氏の言う「記者クラブ制度の改革を望むあまり、事実と違うことを例に取り上げる」人間が果たしてプロのジャーナリストと言えるのか、私には甚だ疑問に思えてならない。<br>
<br>
　<b>「フリー記者がクラブに入りたがっている」2つ目のウソ</b><br>
　ジャーナリストの大谷昭宏氏は、ニュース番組や情報番組のコメンテーターとしてご存知の方も少なくないだろう。まずここでは、この大谷氏が開設している個人事務所サイトに掲載されたコラム記事「<a href="http://homepage2.nifty.com/otani-office/column/ot_053.html">記者会見公開論議、本音を申せば</a>」の一節を紹介したい。ちなみに、氏のこの記事は昨年12月に掲載された「<a href="http://www.news.janjan.jp/media/0912/0911243552/1.php">塩野七生氏に異議あり!　なぜ記者クラブ全廃が必要なのか</a>」のなかでも紹介している。ただ、前回は記事の文末に文字通り紹介したのみであり、今回はその反省の意味を込めて記事中の発言の問題点を指摘してみたい。コラム記事のなかで、大谷氏は今の記者会見公開論議に対して次のような本音を語っている。<br>
<br>
　〈本音を申せば、記者クラブに入って定例の記者会見といった玄関ダネを欲しがってどうするのだ、というところである。各社の記者を前にして定期的に行われる記者会見のどこに魅力があるというのか。翌日の新聞を見れば、どこの新聞、テレビだってそのニュースは扱っている。フリーランスは、そうした玄関ダネの取材はありがたいことに記者クラブ加盟社の記者がやってくれると思っていたらいいではないか。そこに出て行って、各社の記者と一緒に聞いたことを書いた記事やVTRをどこの社が買ってくれるというのだ〉（「記者会見公開論議、本音を申せば」『大谷昭宏事務所ホームページ』2009年11月4日付）<br>
<br>
　記事のタイトルにある記者会見公開論議の本音として、「記者クラブに入って定例の記者会見といった玄関ダネを欲しがってどうするのだ」と大谷氏は指摘している。しかし、記者会見の開放を求めているフリーランスのジャーナリストは、氏の言うように「記者クラブに入って玄関ダネを欲しがって」いるのだろうか。偶然にも先月中旬に開かれたシンポジウム「検察とメディア、そして市民社会」のなかで、雑誌『オルタナ』編集長の森摂氏が「つまり、記者クラブに入らなくてもですね、ネタは取れる役所はいっぱいあるわけですね」と述べ、大谷氏と同様の指摘を投げかけている。<br>
<br>
　この森氏の指摘に対して、まずNPO法人「OurPlanetTV」代表理事の白石草氏が、次にジャーナリストの上杉隆氏が反論している。なお、以下に紹介する両氏の発言は、先述した「OurPlanetTV」がユーストリームで公開している動画を元に、できるだけ発言に忠実に引用したことを付記しておきたい。これらの動画は所々聞き取りづらいのが少し難点であるが、ぜひ1度通しでご覧になっていただきたい。今回この記事では省略した箇所のなかにも興味深いと思える指摘が少なくないと思う。<br>
<br>
　〈私は記者クラブに入りたいとは全然思ってなくて、記者会見で質問したいっていう、まあだけなんですね。なんで質問したいかっていうと、その時のタイミングでどうしても言質を取っておきたいっていう風に思ったときに入りたい。その時に大臣にアポを取って大臣と個別にインタビューするって手もあるんですけど、忙しいとすぐ聞けなかったりとかするわけですよね。まあそういう意味では、私の感覚としては誰もがきちんとその聞きたいことがあるときに会見に出てその時のことを、まあ私たちの場合本当にいつもいつも必要ってわけじゃないんです、はっきり言うと。<br>
<br>
　だけど、聞きたい時に聞けるっていうことが重要かな、それはアクセスできるっていうか、そのこの本にもありますけど、コミュニケーションの権利の基本で誰にも邪魔されずにあらゆる手段でそういうものにアクセスできるっていう。私たちはそういうものを求める活動もしているので、当然総務省という、それをつかさどる役所なんですけど、それができるようにするかどうかっていうことを確認するために行って、その前にアクセスを阻害されるっていう、何となくなんでみたいな、そういう…（以下略）〉（「<a href="http://www.ustream.tv/recorded/4692029">シンポジウム『検察とメディア、そして市民社会』02/13/10 03:23AM</a>」『OurPlanetTV's Videos on USTREAM』）<br>
<br>
　白石氏の次にマイクを握った上杉隆氏は「今白石さんのフォローをするわけじゃないんですけど」とした上で、「会見開放を求める記者は記者クラブに入りたいのか」という問いかけを言下にこう否定する。「私も記者クラブ、これは記者クラブ論議でも混同される方が多いんですけど、誰一人フリーを含めて記者クラブに入りたいって言ってる人一人もいないんですね。記者会見に出してくれというのが全員これは一致した意見です。このなかにも別に入りたいと思っている人はいないでしょうし。記者会見と言う公正な場で質問をしたいと、それはまさに白石さんが仰るように言質を取りたいんです（以下略）」（前出「シンポジウム『検察とメディア、そして市民社会』02/13/10 03:23AM」）と。<br>
<br>
　記者クラブに入りたいのではなく、誰にも邪魔されずにアクセスしたいのだということは、上杉氏のみならずフリーランスのジャーナリストの多くが語っている。こうしたなかで、「記者会見に出してくれというのが全員これは一致した意見」であることを知らぬ氏は、「記者クラブに入って定例の記者会見といった玄関ダネを欲しがってどうするのだ」と見当違いの発言を繰り返している。氏の無知を取り立ててあげつらうつもりはないが、氏の持つ影響力を考えればその言葉はあまりに軽いと言わざるを得ない。『田原総一朗とメディアの罪』（講談社文庫）のなかで、評論家の佐高信氏が「ジャーナリストを名乗るなら、もっと言葉を大事にしてほしいと言いたい」と述べているが、これは大谷氏にも同様に言えることであろう。<br>
<br>
　<b>「経産省会見開放の事実を報じない」という3つ目のウソ</b><br>
　ジャーナリストの上杉隆氏は、昨年起きた政権交代後の官庁会見のオープン化（ただし、現状では外務省や金融庁など一部の省庁に限られる）の流れを作ったことから、同じくジャーナリストの神保哲生氏らと並ぶ功労者のひとりだと言って良い。かくいう私も、数年前に上杉氏の著書『ジャーナリズム崩壊』（幻冬舎新書）を読み、記者クラブの抵抗に遭って会見開放が進まぬ状況を知った。氏のこの著書をきっかけに、記者クラブ問題について記事を寄稿するなど、会見に参加できぬ非クラブ記者への「援護射撃」を始めたひとりである。<br>
<br>
　記者クラブに加盟する大手メディアから干されるのを覚悟で『ジャーナリズム崩壊』を出版、その後もメディアへの寄稿やインタビューで記者クラブが抱える弊害を世に知らしめた貢献は小さくない。だが、その上杉氏ですら霞が関の中央省庁のなかでも重要な経済産業省の記者会見がオープン化されていることを伝えてはいない。Webマガジン『月刊チャージャー』のインタビューに対し、上杉氏は経産省で他省のクラブ記者が取材を行う際、経産省記者クラブの許可が必要であることを紹介している。このインタビュー記事に取材日は書かれていないが、外務省や金融庁での会見開放への言及から、民主党政権が誕生したのちに行われたインタビューであることが分かる。<br>
<br>
　〈記者クラブにいる現場の記者にも、記者クラブはないほうがいいと考えている人は多いんじゃないでしょうか。現在の記者クラブの制度では、文部科学省の記者クラブに詰めている担当記者が経済産業省で取材しようとすると、経済産業省の記者クラブの許可が必要です。たとえば「CO2削減」の取材をしようとすれば、省庁をまたがって取材が必要でしょ。本当にいい取材がしたいというジャーナリストとして普通の気持ちをもっていれば、記者クラブなんてないほうがいいと思うのは当たり前のことなんです。〉（「<a href="http://promotion.yahoo.co.jp/charger/200912/contents03/vol38.php">【調査】まずは疑って係!／上杉隆氏に聞いてみました　『記者クラブ廃止』ってどうなんだ?</a>」『月刊チャージャー』2009年12月号）<br>
<br>
　だが上杉氏はこれらの事実を紹介する一方で、経産省の記者会見が非クラブメディアにもオープン化されていることにはまったく触れてはいない。それは、今回のようなインタビュー記事だけでなく、『週刊朝日』などに対する寄稿記事でも同様である。経産省の記者会見がオープン化されているこの事実を最初に紹介したのは、雑誌やネットなどの記事で記者クラブ問題を取り上げる上杉氏らではなく、私の記憶が正しければ地方自治を専門とするフリーランスライターの小川裕夫氏であった。先月19日、実際に経済産業省の大臣会見に参加した小川氏は、私のメール取材に対し記者クラブ主催会見の印象を次のように語っている。<br>
<br>
　〈入館方法などは省庁ごとに異なり、しかもフリーの記者が記者会見に来ることがないので受付嬢が覚束ない対応だったことを除けば、特に閉鎖的な印象はありませんでした。<br>
　大臣に質問もできるし、撮影も禁止されていません。<br>
　事前に幹事社に確認したところ、記者会見の進行を妨害しないような形であれば（つまり他の省庁と同様に、最後段にカメラをセットして撮影すれば）ネット中継も禁止していない、とのことでした。〉（フリーランスライターの小川裕夫氏）<br>
<br>
　小川氏の証言によると、直嶋正行経産相に質問できネット中継も可能だが、フリーやネットなどの記者が参加しないために記者会見が大メディアに独占されているという。記者クラブ主催という壁があるとはいえ、開放されている経産省の記者会見が大メディアの記者に独占されているのはなぜなのか。これについて小川氏は、「経産省の広報がヘタにつきる」とした上で次のように指摘する。「記者クラブ側からしてみれば、『フリーランスは記者クラブを開放せよと騒いでいるが、開放している経産省に行かないのだからパフォーマンスで言っているだけ。そのうち、飽きて来なくなるのではないか』と思われても仕方がない」<br>
<br>
　氏の言うように経産省の広報活動が下手であるにせよ、広報課や記者クラブに問い合わせればこの事実を知ることができるはずだ。にも関わらず、上杉氏らフリーのジャーナリストが経産省会見開放の事実を知らないのは、「岩上（安身）さんや上杉さんのような人たちは、記者クラブ制度に煮え湯を飲まされ続けており、省庁の大臣会見がすべてクローズドになっていると思い込んでしまっている節がある」と小川氏は言う。といっても、氏の言う「省庁の大臣会見がすべてクローズドになっている」との思い込みをここで非難するつもりはない。それは私だけでなく、私のメール取材にお応え下さった小川氏もたぶん同じ思いであろう。ただ一点、フリーやネットの記者が経産省での会見開放を報ずるとともに、クラブ主催会見の場でぜひ質問に立って欲しい。<br>
<br>
<DIV align=right>（「<a href="http://www.janjannews.jp/archives/2786648.html">なぜ記者クラブ問題ではウソがまかり通るのか</a>」『JanJan』2010年3月3日付より）</DIV><br>
<b>訂正とお詫び</b><br>
　「経産省の記者会見がオープン化されているこの事実を最初に紹介したのは（中略）地方自治を専門とするフリーランスライターの小川裕夫氏であった」との記述について、後日フリーライターの畠山理仁氏から、また「にも関わらず、上杉氏らフリーのジャーナリストが経産省会見開放の事実を知らないのは（以下略）」という記述に関して、フリージャーナリストの上杉隆氏より事実と異なるとご指摘を頂戴致しました。これら<a href="http://twitter.com/hatakezo/status/9932548484">畠山氏のご指摘</a>、<a href="http://twitter.com/uesugitakashi/status/9982194386">上杉氏のご指摘</a>を受け、以上経産省記者会見のオープン化という事実を最初に紹介したのは小川氏であり、その事実をフリーのジャーナリストである上杉氏は知らずにいるとの記述をお詫びして訂正致します。]]> 
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<title>拝啓　立花隆様　身の処し方を考えるべきはあなたです</title> 
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<modified>2010-03-13T14:59:52Z</modified> 
<issued>2010-02-17T15:59:47+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:ooizumichiji777.51698245</id> 
<summary type="text/plain">　今月のはじめ、いまブームを迎えているツイッター上で、ジャーナリストの立花隆氏に対する見解を示したところ、少なからぬ方々がリツイートやフォローなどで反応を示して下さった。ただ、ツイッターでは1回のツイートが140文字以内であるために泣く泣くツイートを分割した...</summary> 
<dc:subject>政治・選挙</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://c-oizumi.doorblog.jp/archives/51698245.html">
<![CDATA[　今月のはじめ、いまブームを迎えているツイッター上で、ジャーナリストの立花隆氏に対する見解を示したところ、少なからぬ方々がリツイートやフォローなどで反応を示して下さった。ただ、ツイッターでは1回のツイートが140文字以内であるために泣く泣くツイートを分割したが、それによってツイートを繋げては読みづらくしたかもしれない。そのため数回分のツイートに一部加筆や訂正を加え、今回一本の記事としてまとめ直した。この記事をきっかけに、ジャーナリズムの大御所である立花氏に引導を渡せるプロのジャーナリストや評論家が現れることを願いつつ、である。以下の記事は、日ごろからの『JanJan』読者はもちろんのこと、立花氏本人、また氏と同業者である文筆家の方々にもぜひお読みいただきたい。<br>
<br>
<center>◇</center><br>
　今月10日の朝のことである。その日、自宅で定期購読している地方紙を読んでいると、1面広告で『文藝春秋』3月号に「『政治家』小沢一郎は死んだ」なる論文が寄稿されたことを知った。この論文の筆者は、高名な評論家でジャーナリストの立花隆氏である。だがちょっと待ってほしい、この不正献金問題で「死んだ」のは政治家小沢一郎でなく、評論家立花隆の方ではないのか。事実、今回の立花氏の仕事に対して、今流行のツイッターで率直に悲しいとの言葉をつぶやくジャーナリストや評論家が少なくない。ここでは、それらのつぶやきのなかからいくつかを選んで紹介したいと思う。<br>
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　「立花隆氏は本当に劣化したなあと悲しくなる。昔は大ファンだったのに……。（以下略）」（<a href="http://twitter.com/sasakitoshinao/status/8694017689">ITジャーナリストの佐々木俊尚氏</a>）、「雲の上の人だった立花隆が…（泣）RT @uesugitakashi: 上杉隆が緊急つぶやき（1） 異例の検察過信の裏を読む『立花はもう終わりだ』（涙） cf: 立花隆が緊急寄稿（1） 異例の再聴取の裏を読む『小沢はもう終わりだ』」（<a href="http://twitter.com/shamilsh/status/8691436473">ジャーナリストの常岡浩介氏</a>）、「上杉隆が緊急つぶやき（2） 『立花評論』の先を読む（悲） cf: 立花隆が緊急寄稿（2） 『小沢不起訴』の先を読む（以下略）」（<a href="http://twitter.com/uesugitakashi/statuses/8691400514">政治ジャーナリストの上杉隆氏</a>）<br>
<br>
　「田中角栄研究―その金脈と人脈」など、立花氏の過去の仕事を否定するつもりはなく、むしろその仕事には心からの敬意を払っているつもりである。ただ、前述した上杉隆氏が指摘しているように、かつて知の巨人と呼ばれた氏らしくない「異例の検察過信」の裏を読むと、「『立花はもう終わりだ』（涙）」（<a href="http://twitter.com/uesugitakashi/statuses/8691250633">上杉氏のツイッターより</a>）と言わざるを得ない。以前ツイッター上で、アルファブロガーの小飼弾氏が「定年がない文筆業って老害が出やすいという体感がある」（<a href="http://twitter.com/dankogai/status/8694367734">小飼氏のツイッターより</a>）と述べていたが、その文筆業の老害に終止符を打つには、同業者による引導が必要だと思う。<br>
<br>
　例えば、立花氏と同じくジャーナリストの田原総一朗氏には、評論家の佐高信氏が「最後に年来の知友として田原に、これ以上醜態をさらさず黙って引退してくれとだけ言いたい。せめてもの忠告である」（『田原総一朗とメディアの罪』講談社文庫）と語り、田原氏に対して記事中での引退勧告を行っている（ただ、残念なことに田原氏は未だこの忠告を聞き入れていない）。ここで思うのは「『政治家』小沢一郎は死んだ」との論文を著した立花氏に「『評論家』立花隆は死んだ」と引導を渡せるジャーナリストや評論家は現れないものかということである。そう、田原氏に引退を忠告した佐高氏のような気骨ある文筆家が、である。<br>
<br>
　ちなみに、ノンフィクション新機軸メディア『G2』に掲載された緊急寄稿のなかで、立花氏は民主党議員に対して次のような指南をしている。「民主党の政治家の方々はそのときをにらんで、いまから身の処し方を考えておくことだ。／これからすべての政治家が一瞬たりとも気が抜けない、そしてすべての政治家がその政治家としての器の大きさを問われる日が間もなく連続してやってくる」（「<a href="http://g2.kodansha.co.jp/?p=3545">立花隆が緊急寄稿（2）『小沢不起訴』の先を読む</a>」『G2』）と。だが私に言わせれば、「そのときをにらんで、いまから身の処し方を考えておく」べきは、当の立花隆その人である。<br>
<br>
<DIV align=right>（「<a href="http://www.janjannews.jp/archives/2635684.html">拝啓　立花隆様　身の処し方を考えるべきはあなたです</a>」『JanJan』2010年2月17日付より）</DIV>]]> 
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<title>文藝春秋2月号「20歳の若者が語る明日」に思う</title> 
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<modified>2010-02-22T10:15:51Z</modified> 
<issued>2010-02-02T09:16:06+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">　それは1月を半ば過ぎた頃であった。月刊誌『文藝春秋』2月号に掲載された座談会記事「20歳の若者が語る明日」を読んだ時のことである。雑誌冒頭の目次でタイトルを見て、勝手に大きな期待を持って読み始めたのだが、結論から言ってまったく期待外れの記事であった。という...</summary> 
<dc:subject>日々雑感</dc:subject>
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<![CDATA[　それは1月を半ば過ぎた頃であった。月刊誌『文藝春秋』2月号に掲載された座談会記事「20歳の若者が語る明日」を読んだ時のことである。雑誌冒頭の目次でタイトルを見て、勝手に大きな期待を持って読み始めたのだが、結論から言ってまったく期待外れの記事であった。というのも、この記事を一通り読み終えてなおタイトルにある「20歳の若者が語る明日」がほとんど伝わってこないのである。強いて言うならば、読者としての私が感じたのは大学や社会への不平不満を語る「大人」の姿であろうか。まずは前記した『文藝春秋』2月号のなかから、同年代の人間としては恥ずかしく思えてくる大人の発言をいくつか引いてみたい。<br>
<br>
　まず1つ目の発言は、お正月にテレビ中継される箱根駅伝の出場校としても知られる法政大学に通いながら、美学校でも絵を学んでいる中島晴矢君である。中島君は今回の座談会のなかで、今の大学の体質や現状について次のように発言している。「大学って自由で好きなことができるとか言われますけど、今の大学はそんなことないんじゃないかな。閉鎖的だし、出欠も厳しくとるし。普通につまらない。みなさんもNPO団体など、大学の外に活動の場があるわけでしょ。大学って面白くないですよね」（「20歳の若者が語る明日」『文藝春秋』2010年2月号）<br>
<br>
　この発言について、私に言わせれば「よくもまあ勝手なことを（笑）」と一言のみである。その上で「大学って面白くない」という前に、大学を面白く感じるための努力をしたのか、と問うてみたい。早稲田大学教授の榊原英資氏は、「面白きこともなき世を面白く」という高杉晋作の辞世の句を引いて、「いまの時代『面白く』生きることはそれほど難しくないでしょう」と自著で指摘している（同氏著『榊原式スピード思考力』幻冬舎）。氏の言葉に私は激しく同意するとともに、いまの時代に大学で面白く学ぶことも難しくはないと思う。<br>
<br>
　それにも関わらず、「普通につまらない」「大学って面白くない」などと簡単に投げ出す学生は、こうした大学を「面白く」するための努力をしているのであろうか。NPO団体への参加など学外で活動の場を持っていること、またキャンパス・ライフを大いに楽しむことを否定するつもりはない。しかし、『勇気ある言葉』（集英社文庫）のなかで作家の遠藤周作氏が語っているように、「この学生たちが、自分たちと同じ年齢になって大学に行けぬ男女が日本にたくさんいることを思いやってほしいと思うのである」。<br>
<br>
　そのため、少なくとも私個人は学業をおろそかにしてまで、大学のなかで何かの原稿を書くようなことはせずにきている。今や少子化で「大学全入時代」に突入したと言われているが、皆が平等に進学できると思ったら大間違いである。「大学に進学できない」理由としては、学力的な問題や経済的な理由など様々な事情があるだろう。「大学って面白くない」などと公言して憚らない学生には、氏の指摘する「自分たちと同じ年齢になって大学に行けぬ男女が日本にたくさんいる」事実を知った上で物を言って欲しいものである。<br>
<br>
　次にNPO団体「アイセック・ジャパン」のなかで、東京大学委員会の委員長を務めている柴山健太郎君である。今回の座談会で司会を務めたジャーナリストの池上彰氏に対し、柴山君は自らの進学理由についてこう吐露している。「そうですね。やりたいことや情熱を捧げられることを探しに大学に進学したので、ある意味では『モラトリアム万歳!』というところもあるんですけど。まだまだ自分探し中です」（前出「20歳の若者が語る明日」）と――。<br>
<br>
　こうした自分探し中という発言を聞くたびに、今の若者（私もその若者のひとりではあるのだが）の言う「自分探し」とは一体何なのだろうと思う。少なくとも、自分を探すということの意味が私にはまったく理解できないのである。柴山君のこの言葉を聞いて、東京大学名誉教授の養老孟司氏はどのように思うのだろうか。養老氏は自著『死の壁』（新潮新書）のなかで、自分探しを続ける人々に次のような言葉を贈っている。自分を探している同年代の心に養老氏のこの言葉が届いているのか、先に紹介した言葉からはそれすらも疑わしく感じられてくる。<br>
<br>
　〈ここで問題にしているのは、そういうことではなくて、「あの時の自分は、本当の自分ではなかった。本当の自分を見失っていた」という理屈です。<br>
　そんなことはあり得ないのです。今、そこにいるお前はお前だろう、それ以外のお前なんてどこにいるんだ、ということなのです。「自分探し」などと言いますが、「本当の自分」を見つけるのは実に簡単です。今そこにいるのです。〉（養老孟司著『死の壁』新潮新書）<br>
<br>
　それでは最後に、前述した中島晴矢君とジャーナリスト池上彰氏の会話をひとつ紹介したい。座談会の出席者が自己紹介を終えて「20歳もいろいろだね」と感想を語った池上氏に対して、中島君は「でも、ここにいる大人は若者代表、じゃないと思います。なんだかんだいってもみんなエリートだし」と反論している。その中島君の反論に「まあ、渋谷や秋葉原の若者を連れてきてもそれも代表とはいえないしね」とした上で、「では、こんな若者たちもいるということで意見を聞かせてください」と池上氏は続けている。<br>
<br>
　確かに記事冒頭にある参加者の自己紹介を読むと、「ここにいる大人は若者代表、じゃない」との発言はまさにその通りであるだろう。それは、東大や中央大、法政大と言った有名国立、私立大学の名前が並んでいることからも分かる。しかし、その事実を伝えるために「なんだかんだいってもみんなエリートだし」と言える学歴エリートの神経には、思わず後ろに仰け反ってしまう。自らを天才と語る「天才」タレントもそうだが、エリートが自らをエリートと言うことは、何と滑稽なことなのであろうかとも感じられてならない。<br>
<br>
　ここで私が言いたいのは、ツイッターでもつぶやいたように「そんなんだから『ゆとり（世代）は云々～』などと言われるのではないか、『20歳の若者』を代表して出ているのだから、もっとしっかりして欲しい」ということである。この座談会の参加者である長谷川健司君が指摘しているように、「文藝春秋に20歳そこそこの学生が呼ばれること自体革命的なこと」（「<a href="http://d.hatena.ne.jp/utsumigumi/20100109/1263057342">文藝春秋2月号に登場!</a>」『今週のウツミ』2010年1月9日付）である。今回の座談会に出席した面々には、「ゆとり」などと根拠の無いレッテルを貼る大人をアッと驚かせるぐらいのことを語ってもらいたかった。その点では、「20歳の若者」のひとりとして非常に残念でならない。<br>
<br>
　また、再びこのような機会が与えられた際には、今回のようにエリートばかりではなく、渋谷や秋葉原の若者などを含むメンバーで語り合ってはどうだろう。今回座談会に出席した面々イコール「20歳の若者」だと思われるのはまったく心外である。ただそれでも、池上氏の言うように「渋谷や秋葉原の若者を連れてきてもそれも代表とはいえない」かもしれない。しかし、今回のようにメンバーが偏ることはなく、少なくともバランスの取れた座談会となるのは確かである。もしそれができないのであれば、次回の記事からはそのタイトルを「学歴エリートが語る独り言」とでも変えた方が良いだろう。<br>
<br>
<DIV align=right>（「<a href="http://www.janjannews.jp/archives/2510642.html">文藝春秋2月号『20歳の若者が語る明日』に思う</a>」『JanJan』2010年2月1日付より）</DIV>]]> 
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<title>鳩山首相よ、きのうの日の言葉を軽んじることなかれ</title> 
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<modified>2010-02-02T09:46:31Z</modified> 
<issued>2010-01-07T09:39:03+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">　1月1日、2010年という新たな年を迎えた。そこでいま最も注目しているのは、昨年12月の政治資金問題に関する釈明会見のなかで、ある重要な発言を口にした鳩山由紀夫首相の言動である。鳩山首相からその発言を引き出した記者は、インターネット新聞『JanJan』市民記者でジャ...</summary> 
<dc:subject>メディア</dc:subject>
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<![CDATA[　1月1日、2010年という新たな年を迎えた。そこでいま最も注目しているのは、昨年12月の政治資金問題に関する釈明会見のなかで、ある重要な発言を口にした鳩山由紀夫首相の言動である。鳩山首相からその発言を引き出した記者は、インターネット新聞『JanJan』市民記者でジャーナリストの田中龍作氏。「総理が奇麗な言葉を並べても、またうそをついているとしか世の中は取らない」と指摘し、その言葉の軽さについて見解を尋ねた田中氏に対して、「軽いと言われれば、反省しなければならない」としたうえで鳩山首相は次のように続けている。産経新聞のネット版に掲載された詳報記事から、この鳩山発言の一部を引いてみたい。<br>
<br>
　〈それから、記者クラブというか、この記者会見の開放に関しては、来年からもっと開放されるようにと申し伝えているところであります。本来ならば100日前に行わなければならないことでありましたが、なかなか諸事情、スペースの問題も含めて、すぐにできないことは申し訳なく思っていますが、どうせ信じていただけないかもしれませんが、そのことに関しては私の決意は変わっておりません〉（「<a href="http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091224/plc0912242046021-n2.htm">【鳩山会見詳報】（6）『責任はないと思っていない』（24日夕）</a>」『MSN産経ニュース』2009年12月24日付）<br>
<br>
　私の知る限りでは、「官邸記者会見のオープン化」の公約未達成について、これまで鳩山首相が公の場で言及することはなかった。それは、ビデオジャーナリストの神保哲生氏が指摘しているように、「（引用者注、釈明会見が行われた）今日まで官邸の記者クラブに加盟する記者以外が鳩山さんに直接質問をぶつける機会がなかった」（<a href="https://twitter.com/tjimbo/status/7001000902">神保哲生氏のツイッターより</a>）からである。今回の記者会見は、記者クラブでなく鳩山氏一議員主催の会見だったため、フリーランスやネットメディアなどの記者が参加し、その場で質問できたわけだ。先に紹介したように、「官邸記者会見のオープン化」がいまだ果たされぬことを質した田中氏には、よくぞ質問してくれたと言って拍手を送りたい。<br>
<br>
　その一方で、「三度目の正直」の心境で発したであろう今回の鳩山発言には、これを懐疑的に捉える見方が少なくない。例えば、ネットメディアのひとつである『J-CASTニュース』は、「政権発足100日という節目の日に『再出発』を誓った鳩山首相だが、今日の言葉は信じることができるだろうか」（「<a href="http://www.j-cast.com/2009/12/24056956.html">『やめろ』の声強まれば辞任　秘書起訴の鳩山首相会見</a>」2009年12月24日付）と書いて記事を締め括っている。それと言うのも、鳩山首相の言う100日前に氏の過去の発言を信用し、まんまとしてやられた記憶が離れないからであろう。これについては、鳩山首相の過去の発言を取り上げた「<a href="http://www.news.janjan.jp/media/0909/0909170334/1.php">大メディアが黙殺した鳩山首相初会見の真実</a>」で詳述している。<br>
<br>
　こうして鳩山首相初会見に参加できなかった苦い経験を知ってか知らずか、鳩山首相は少し笑いながら「どうせ信じていただけないかもしれませんが（以下略）」と記者団に語っている。これらの発言は、「ビデオニュース・ドットコム」が配信する<a href="http://www.videonews.com/press-club/0804/001320.php">無料動画</a>などでご確認いただきたい。ただ先の発言が信じられるか信じられないかは関係なく、「民主党が政権を取れば、記者会見を開放する」との言葉を裏切らぬ責任があることには違いない。一国の宰相であり、与党民主党の代表でもある鳩山氏は、過去の言葉を軽んずれば必ずその石につまずくことになる。今年は、実際に氏が首相として有言実行するのかどうか、事の成り行きを注視していくつもりだ。<br>
<br>
　2010年の元旦、この原稿を書きながら私は改めて思う。鳩山首相よ、きのうの日のあの言葉を軽んじるなかれ、と。だがジャーナリストの上杉隆氏は、この言葉よりもさらに手厳しく首相を批判している。この記事では、最後に私が共感を抱いた氏の言葉を紹介し、ここで一旦筆を擱きたいと思う。『ダイヤモンド・オンライン』に連載中の「週刊・上杉隆」のなかで氏はこう語っている。「（引用者注、昨年）5月16日、鳩山首相は筆者の質問に対して記者会見のオープン化を約束した。公式の記者会見で発せられた言葉は、国民への公約にもなる。／国民との約束を蔑ろにする首相は、事実を隠蔽し続けてきた元首相と少しも変わらない」（1月1日記）<br>
<br>
関連記事<br>
鳩山首相、記者クラブ問題でも“泣き”<br>
<a href="http://www.news.janjan.jp/government/0912/0912254753/1.php">http://www.news.janjan.jp/government/0912/0912254753/1.php</a><br>
<br>
<DIV align=right>（「<a href="http://www.janjannews.jp/archives/2173642.html">鳩山首相よ、きのうの日の言葉を軽んじることなかれ</a>」『JanJan』2010年1月6日付より）</DIV>]]> 
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<title>2010年　新年のごあいさつ</title> 
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<modified>2010-02-02T09:49:25Z</modified> 
<issued>2010-01-02T13:32:56+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">　明けましておめでとうございます。さて早速ですが、昨年は岡田克也外相や亀井静香金融担当相など鳩山内閣の新閣僚の意向によって、外務省や金融庁など一部の省庁で記者会見がオープンとされました。しかしこれらの省庁が定めた、記者会見に参加できる記者の範囲は狭いもの...</summary> 
<dc:subject>お知らせ</dc:subject>
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<![CDATA[　明けましておめでとうございます。さて早速ですが、昨年は岡田克也外相や亀井静香金融担当相など鳩山内閣の新閣僚の意向によって、外務省や金融庁など一部の省庁で記者会見がオープンとされました。しかしこれらの省庁が定めた、記者会見に参加できる記者の範囲は狭いものであり、ブログのみに記事を投稿している純粋なブログ記者などが参加できないといった課題が残されています。それでも、これまでの会見形式と比べると「記者会見のオープン化」は僅かながらも一歩進んだように思えますが、この記者会見とは別に「記者クラブ自体の開放」に関しては、ほとんどと言って良いほど進められてはいません。<br>
<br>
　こうした「記者クラブが開かれない」状況は、昨年の元旦に記者クラブ開放を挙げて、次のような抱負を宣言した私としては大変残念に思うとともに、大きな反省点でもあると考えています。自らの有言不実行に対する自己批判の意を込めて、昨年の抱負の一節をここに引いておきたいと思います。「本年（引用者注、2009年）においては、前述のノンフィクションはもちろん、記者クラブ開放を進めるためにブログジャーナリスト（ブロガー）として文筆活動に全力で取り組みたいと考えている」（「<a href="http://c-oizumi.doorblog.jp/archives/51478284.html">2009年　新年のご挨拶</a>」『大泉千路のブログジャーナル』2009年1月1日付）<br>
<br>
　本年2010年は、否、本年こそ「記者クラブ開放の年」にすべく記者クラブなどへの取材に取り組み、記事の執筆に繋げていきたいと考えています。早速、昨年12月に行われた鳩山由紀夫首相の偽装献金釈明会見での発言を取り上げて、記者会見オープン化関連の記事を書いているところです。あくまで本業を優先させつつのブログ掲載となりますが、本年もどうぞご愛読のほどお願いいたします。終わりに、本年が皆さまにとってより良い1年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。<br>
<br>
　　　平成22年新春<br>
<br>
<img src="http://livedoor.blogimg.jp/ooizumichiji777/imgs/4/1/413eb32a.jpg" width="180" height="60" border="0" alt="大泉 千路" hspace="5" class="pict" align="right" />]]> 
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<title>映画「サウダーヂ」にエキストラ出演しました</title> 
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<modified>2010-01-06T11:33:31Z</modified> 
<issued>2009-12-29T15:50:18+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">　今月27日、以前からお知らせしていた映画「サウダーヂ」の県内撮影が行われ、この撮影に私もエキストラの一人として参加した。今回の撮影は、ある企業の創立記念パーティーという設定である。そのため、久しぶりにパーティーに合うスーツを着て、撮影現場である「ホテルグ...</summary> 
<dc:subject>日々雑感</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://c-oizumi.doorblog.jp/archives/51674300.html">
<![CDATA[　今月27日、以前からお知らせしていた<a href="http://c-oizumi.doorblog.jp/archives/51665815.html">映画「サウダーヂ」の県内撮影</a>が行われ、この撮影に私もエキストラの一人として参加した。今回の撮影は、ある企業の創立記念パーティーという設定である。そのため、久しぶりにパーティーに合うスーツを着て、撮影現場である「<a href="http://www.vierge.co.jp/kofu/">ホテルグランヴェルジュ甲府</a>」を訪れた。今回の撮影のために貸し切られたホールの入口を抜け、赤いテーブルの椅子に座って周りを見まわすと、上は6、70代から下は2、3歳まで幅広い年代層のエキストラが集っている。この年末の時期に100人近くのエキストラが集まったということに私はまず驚いた。そんな驚きのあと、同じテーブルの椅子に座った方と今回の撮影に参加したきっかけについて話す。その会話のなかで分かったのは、男性は取材で来られたYBSラジオの方と山梨県の「富士の国やまなしフィルム・コミッション」の方で、若い女性の3人組は女性エキストラのヘアメイクのために招かれたヘアースタイリストの方々だということであった。こうして幾人かで会話を交わしていると、ホールの壇上に立つ富田克也監督から撮影内容やその終了時間、他に役者さんの情報（富田監督の「役者の顔や名前を覚えてほしい」という理由から）などが伝えられた。<br>
<br>
　ここで紹介された役者さんのなかで驚いたのは、首都大学東京教授で社会学者の宮台真司氏であった。というのも、今年9月に行われた<a href="http://www.news.janjan.jp/culture/0910/0909019616/1.php">映画の制作発表イベント</a>で見た宮台氏とは同一人物と思えなかったからである（特徴のあるあの声を聞いてはじめて、それが氏本人であることが分かったくらいだ）。氏は衆院選で山梨1区から立候補する政治家役ということだったが、故橋本龍太郎元首相似のオールバックで、本物の政治家より政治家然とした雰囲気が感じられた。役を作りこんできたことを感じさせる、政治家を演ずる宮台氏の姿は、「<a href="http://www.miyadai.com/index.php?itemid=830&catid=1">富田克也監督『サウダージ』に出演しました。</a>」（『MIYADAI.com Blog』）に掲載されたポスター写真で見ることができる。氏が出版した著書やネット番組などへの出演で、学者としての氏のことを知っている方は、この写真を見て役者・宮台真司に少しばかり驚くかもしれない。<br>
<br>
　その後、前の方のテーブルの空席を埋めるため、前述したYBSラジオの方と一緒にそのテーブルに座る。そのテーブル席に座っていたのは、今回の映画を製作している空族の映画ファンで大阪から来た女性、またラジオでエキストラ募集を聞いて参加したお母さんと娘さんの親子などであった。そこでまたどこから来られたのですかなどと話していると、確か富田監督だったと思うが撮影をはじめるとの声が掛かり、撮影現場にはエキストラのあいだで緊張感が漂った（ように私には感じられた）。今回の撮影現場では十数シーンの撮影があったが、そのなかでも一番印象深かったのは、「パーティ会場で、山梨一区から衆議院議員として立候補した赤尾大輔（宮台）が、『わざとらしい』演説をぶったり、『わざとらしい』挨拶う後援者たちと交わすシーン」（前出「富田克也監督『サウダージ』に出演しました。」、原文ママ）である。<br>
<br>
　今回の撮影でほぼ最初に撮られた「パーティ会場で、山梨一区から衆議院議員として立候補した赤尾大輔（宮台）が、『わざとらしい』演説をぶったり」するシーンでは、パーティ参加者に熱弁を振るう宮台氏の背後に立つカメラマンが氏を見るエキストラを撮影していた。事前に富田監督からはカメラの方を見ないようにという注意もあったので、カメラを見つめないように私も緊張しながら撮影に臨む。他のシーンと同様、このシーンもまた幾度かのテストを経て本番の撮影が行われたが、撮影の合間に台詞をぶつぶつ言いながら壇上を歩く氏の姿を見た。上に述べたシーンを終えて少ししてから撮影された「（パーティ会場に現れた赤尾とその妻が）『わざとらしい』挨拶う後援者たちと交わすシーン」では、赤尾の妻役の役者さんから挨拶を受けるなどで私も少し関わることができた。このシーンでは私の目の前で、富田監督から宮台さんはこうこうしてくださいという“演技指導”を受ける氏の真剣な姿が見られたが、それを終えて立ち位置に戻るときに「これは大変だなぁ～」という独り言を偶然聞く。これらいずれも撮影の合間に見られたしぐさや聞かれた言葉であるが、これによって素人という甘えをまったく表に出さぬ氏のプロ根性を見たような気がした。<br>
<br>
　このように、数時間の撮影のなかで普段出会う機会のない役者さんの隠れた一面を垣間見ることができ、撮影の進行に合わせて食べることができた料理も美味しくいただくことができた。今回の撮影で出された料理は、『みなさまの縁をとりもつ隊ブログ』のエントリー「<a href="http://ameblo.jp/torimotsu/entry-10421041601.html">映画『サウダーヂ』の撮影!</a>」で詳述されているのでご覧いただければと思う。また、富田監督から「はい、カット!」と声が掛かるまで緊迫した空気が流れる撮影に立ち会うことができたのは、今回はじめてのエキストラ参加であったが非常に良い経験となった。他のエキストラに混ざって撮影現場を出るときに、出口で「ありがとうございました」と言うスタッフの方と挨拶を交わしたが、そこでエキストラ出演を終えてこれまで感じたことのない充実感を感じることができた。撮影終わりの富田監督の話によると、これからも今回のような大規模なシーンがあるので、その際はぜひ参加してほしいということであった。まだ日程がよく分からないのではっきりしたことは言えないが、スタッフの方のご迷惑にならないように今後もエキストラとして参加し、このブログでも現場報告をしていければと思っている。<a href="http://www.news.janjan.jp/culture/0910/0909019616/1.php"></a><br>
<br>
　映画「サウダーヂ」エキストラ募集ページ<br>
　<a href="http://www.saudade-movie.com/ekisutora/">http://www.saudade-movie.com/ekisutora/</a>]]> 
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<title>記者クラブ廃止論者が語る「田中県政への過大評価と大ウソ」</title> 
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<modified>2010-01-04T02:07:08Z</modified> 
<issued>2009-12-28T11:48:14+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:ooizumichiji777.51673715</id> 
<summary type="text/plain">　はじめに
　今月14日、「記者クラブ廃止、出来るか出来ないかでなく『やるかやらないか』」という記事が『JanJan』に掲載された。この記事は、12日に開かれた人権と報道・連絡会主催のシンポジウム「官僚・メディアと新政権――記者クラブ廃止に向けて」を取り上げたもの...</summary> 
<dc:subject>メディア</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://c-oizumi.doorblog.jp/archives/51673715.html">
<![CDATA[　<b>はじめに</b><br>
　今月14日、「<a href="http://www.news.janjan.jp/media/0912/0912134328/1.php">記者クラブ廃止、出来るか出来ないかでなく『やるかやらないか』</a>」という記事が『JanJan』に掲載された。この記事は、12日に開かれた人権と報道・連絡会主催のシンポジウム「官僚・メディアと新政権――記者クラブ廃止に向けて」を取り上げたものである。シンポジウムには外せない他用があったために参加できなかったが、後日掲載されたこの記事を読んでどうしても看過することのできない発言があった。そのため、今回の記事で紹介されたそれらの発言を引きながら、記者クラブ廃止論者が語る「田中（康夫・長野）県政への過大評価と大ウソ」をここに紹介したい。<br>
<br>
　<b>田中県政を過大評価するクラブ廃止論者</b><br>
　まず指摘したいのは「田中県政に対する過大評価」である。今回のシンポジウムに参加したフリーライターの山本ケイ氏によると、パネリストのひとりで衆議院議員の田中康夫氏は、県知事時代に「脱・記者クラブ宣言」を発表した理由についてこう語ったという。「私が知事になった時にスポーツ新聞などは前日までにクラブにお伺いをしなければ入れなかった。それに政党や宗教の新聞は入っちゃいけないということになっていた。しかし私は全ての人は表現者と考えていたので脱・記者クラブを行った」（「記者クラブ廃止、出来るか出来ないかでなく『やるかやらないか』」）。司会を務めた同志社大学教授の浅野健一氏は、この田中氏の発言に追随するかのようにシンポジウムの結びで次のように述べている。<br>
<br>
　〈田中さんが記者クラブを廃して全ての人が表現者であるとしたことは印象強く、ジャーナリストには特権があるわけでなはい。日本の大マスコミは自分たちは特権があるんだと考えているのであり、その象徴が記者クラブではないかと思う。今後もこのことについて考えていただきたい。記者クラブを廃止するだけでは解決しないが、廃止することでジャーナリズムの再生につながると思う。長野県でやったことを官邸でもやるべきだ〉（「記者クラブ廃止、出来るか出来ないかでなく『やるかやらないか』」、原文ママ）<br>
<br>
　確かに田中氏が語っているように、氏以前の知事会見は「スポーツ新聞などは前日までにクラブにお伺いをしなければ」参加が許されず、「政党や宗教の新聞は入っちゃいけないということになっていた」。それに疑問を感じて知事会見を開放したこと自体は、「正の部分」として評価することができる。田中氏が「脱・記者クラブ」を宣言しなければ、後に後任の村井仁知事までもが会見を開放することは無かっただろう。しかし、氏が持っている会見開放後の「負の部分」をひた隠しにして、田中県政は良かったなどと賛美するクラブ廃止論者には我慢がならない。<br>
<br>
　それでは、ここで言う「氏が持っている会見開放後の『負の部分』」とは一体何だろうか。これを紹介する上で、知事時代の田中氏をよく知る大学教授、また当時の知事会見に参加した記者と市民という3名の証言を紹介したい。まず1人目は、東京都市大学教授の青山貞一氏である。長野県の政策アドバイザーなどを歴任している青山氏は、田中氏と密接な関係にあった人物である。青山氏は自身のブログ『青山貞一ブログ』のなかで、会見開放後の田中氏の言動について次のように指摘している。<br>
<br>
　〈田中康夫氏は「脱・ダム宣言」で有名だが、筆者は「脱・記者クラブ」宣言に田中氏の本領が発揮されていると思っている。<br>
　その田中康夫前長野県知事は、せっかく宣言した「脱・記者クラブ」宣言にもかかわらず、その後、メディアからの質問の多くにまともに答えることなく、はぐらかしの連続であった。<br>
　政治家にとって情報リテラシー能力、とくに双方向のコミュニケーションは具備すべき最も重要な資質のひとつであるが、田中康夫氏は、残念ながらコミュニケーション能力に乏しい。<br>
　自分の言いたいことを一方的に話し、ひとの意見を聞かない、そさすとの批判をずいぶん受けていた。〉（「<a href="http://blog.livedoor.jp/aoyama211111/archives/50821156.html">日本のメディアの本質を考える（3）　～記者クラブと世論誘導～</a>」『青山貞一ブログ』2007年6月9日付）<br>
<br>
　青山氏の指摘するこれらの実態は、田中県政時代の知事会見に度々参加した主婦の鈴木恵美子氏が山本ケイ氏のインタビューに、ブログ「追撃コラム＆取材メモ」主宰の奥秋昌夫氏は『JanJan』掲載記事へのコメントで証言している。以下に紹介する両氏の証言からは、青山氏の言う「自分の言いたいことを一方に話し、ひとの意見を聞かない」田中氏の隠れた一面を垣間見ることができよう。ちなみに、長野県の公式ホームページには田中知事会見録が掲載されているが、これらの会見録は彼ら彼女らが語る証言を物語っている。非常に膨大な量の会見録ながら、ぜひ一度は次に挙げるリンクからアクセスしてみていただきたい（田中知事会見録<a href="http://www.pref.nagano.jp/hisyo/press/past/press01-03.htm">【2001年～2003年】</a>、<a href="http://www.pref.nagano.jp/hisyo/press/past/press04-05.htm">【2004年～2005年】</a>、<a href="http://www.pref.nagano.jp/hisyo/press/past/press06.htm">【2006年】</a>）。<br>
<br>
　〈私は1県民として会見に参加してきました。（引用者注、村井知事による）今の会見は田中知事の時と比べてオープンになっていると思います。田中知事の時は知事が質問者を指名する形で、私が話せない時もあったのです〉（「<a href="http://www.news.janjan.jp/media/0809/0809066453/1.php">記者クラブ改革、主婦が知事会見に出る長野県</a>」『JanJan』2008年9月8日付より鈴木氏コメント）、〈脱記者クラブ宣言は田中康夫知事の情報操作の小道具でした。まったく評価できないものです。田中知事は一部のお気に入りのメル友記者を使って情報操作を何度もしていました。自分に都合の悪い質問をしそうな私などには何度挙手しても指名しないことが恒常化していました〉（「<a href="http://www.news.janjan.jp/media/0911/0911243573/1.php">新政権下で強まる記者クラブ批判</a>」コメント欄より奥秋氏コメント）<br>
<br>
　ここでポイントとなるのは、「自分に都合の悪い質問をしそうな私などには何度挙手しても指名しない」との発言である。確かに、田中氏の「脱・記者クラブ」ですべてのメディアと一般市民が知事会見に参加できるようになった。だが、県庁内の会見場に入ることは誰でも可能であったが、鈴木氏らのように厳しい質問を投げかける取材者は、氏から指名されずに質問できなかったのである。それにも関わらず、田中氏らクラブ廃止論者は、自分たちにとって都合の悪いところはひた隠しにしている。そして先に述べたような氏の良いところのみを取り上げた上で、「長野県でやったことを官邸でもやるべきだ」などと語るのだから噴飯物である。<br>
<br>
　これについて作家・塩野七生氏の至言を借りて言えば、「記者会見とは、内閣府や省庁が伝えたいと思っていることを伝える場ではまったくなく、伝えられる側による自由で闊達な質問とそれに対する回答、がなければ意味が無いのだ」（「日本人へ（79）戦略なくしてチェンジなし」『文藝春秋』2009年12月号）。上に紹介した3人の証言によれば、田中県政下の知事会見において塩野氏の言う「伝えられる側による自由で闊達な質問とそれに対する回答」が無かったことは明らかであろう。それゆえに、発言と行動が伴わない田中県政を過大に評価するクラブ廃止論者の見識を疑ってならない。<br>
<br>
　<b>「長野で記者クラブを廃止した」というウソ</b><br>
　次に「田中県政に関する大ウソ」について、ひとつ指摘しておきたい。ここで注目すべき点は、記事の冒頭で紹介した「田中さんが記者クラブを廃して全ての人が表現者であるとしたことは印象強く（以下略）」（「記者クラブ廃止、出来るか出来ないかでなく『やるかやらないか』」）という浅野健一氏の発言である。浅野氏が世話人を務める人権と報道・連絡会が作成した<a href="http://www.jca.apc.org/~jimporen/sympo/sympo2009-2.pdf">シンポジウムの宣伝ビラ</a>でも、そのパネリストである田中氏が「長野で記者クラブを廃止した」と紹介されている。<br>
<br>
　だが浅野氏らが言うように、田中氏が記者クラブを廃止したという指摘を鵜呑みにして良いものだろうか。「新政権下で強まる記者クラブ批判」へのコメントのなかで、前述した奥秋昌夫氏は長野県での記者クラブの廃止について次のように指摘している。「記者クラブはマスコミ各社の任意でつくっている組織なので、なくなることはありえません。ただ、記者クラブが会見を独占的に仕切ることが問題で、それがなくなっただけです」（「新政権下で強まる記者クラブ批判」コメント欄より）と。この指摘は、今月3日に掲載された「<a href="http://www.news.janjan.jp/media/0912/0911243552/1.php">塩野七生氏に異議あり!　なぜ記者クラブ全廃が必要なのか</a>」に寄せられたコメントへの回答でも紹介した通りである。<br>
<br>
　こうした過程を経て先日、記者クラブを廃止したとされる長野県に対して、実際に県が記者クラブを廃止したのかどうかを問い合わせた。そして後日県から届いた回答によれば、「脱・記者クラブ宣言は、記者クラブという任意組織自体を廃止するものではなく、県庁内の記者クラブ室を廃止し、知事等の会見を記者クラブ主催から県主催に変更したもの」（長野県総務部広報課、転載許可を取得済）だという。やはり奥秋氏の言うように、大マスコミの任意団体である記者クラブが無くなることは有り得ず、知事会見をクラブ側が仕切らなくなっただけであった。<br>
<br>
　このように記者クラブが無くならない現状で、外部から記者クラブの廃止を唱えることにどれほどの意味があると言うのだろう。一歩譲ってクラブの廃止を唱えるにしてもクラブ開放を要求することが第一で、クラブ自身に開放させた記者クラブに入ってからのことではないか。それは、クラブ自体を存続されるか廃止するかは、クラブの構成員が決める決断だからである。こうしたことを言えば、「記者クラブの肩を持つのか」とか「記者クラブの存在を容認するのか」という批判があるかもしれない。私には記者クラブを擁護するつもりは毛頭ないが、誤解を恐れずに言えばクラブ開放を唱えることに躊躇する気持ちもまったくない。<br>
<br>
　もちろん、ジャーナリスト宮武外骨が「ユスリ記者」と呼んで批判した私利私欲を肥やし続けるマスコミ人が、権力へのアクセス権などの既得権益を死守するために記者会見の開放に抵抗していることは知っている。だが宮武の言う「ユスリ記者」の生き残りは、マスコミ人のなかの一部に過ぎないのではないか（この問題の本質を私が知らないだけかもしれないが）。前記した「新政権下で強まる記者クラブ批判」によれば、日本新聞労働組合連合が新聞研究部会議の出席者にアンケートを取ったところ、「記者クラブ自体は必要だが、何らかの改革は必要」とする回答が全体の84％を占めたという。プロ記者の世代、時の政権が交代したこともあり、個人単位ではあるが大多数の記者がクラブ改革の必要性を感じているのだ。<br>
<br>
　また山本ケイ氏のインタビューに対して、現在新聞社の85労働組合が加盟している日本新聞労働組合連合の豊秀一委員長（朝日新聞記者）は、クラブ開放すべき理由について次のように語っている。これは一読者としての意見だが、最近雑誌やネットなどに掲載されたクラブ開放論のなかで、最も的を射ていて説得力があるように思える。そのため、いささか長くはなるがこの場を借りてこの豊委員長の指摘を紹介しようと思う。なお、上に挙げた山本氏のインタビューは、先月25日に掲載された「<a href="http://www.tv.janjan.jp/0911/0911250614/1.php">【映像】新聞労働の現場から新聞労連・豊 秀一中央執行委員長に聞く</a>」で視聴ができることを付記しておきたい。<br>
<br>
　〈個々の記者クラブ批判について全て見ているわけではありませんが、基本的にオープンにして競争すればいいのではないでしょうか。決して敵対するものではなく、チャンネルが広くあればいい話しなのであって、組織でやっているメディアと、フリーの人、雑誌ではそれぞれ視点が違うのですから、誰にでもアクセスできるようにしながら、切磋琢磨すればいいのではないかと思いますね。<br>
　ことさらに記者クラブ側が閉鎖的になるほど既得権を擁護しているという風に見られてしまう。そこはオープンにしてそれぞれが何をやっているのか見えるようになれば、批判の中で当たっているものもあれば、当たっていないものもあるでしょうし、そこはオープンにして全てさらけだすことで解消していけばいいのではないでしょうか。〉（「新政権下で強まる記者クラブ批判」『JanJan』2009年11月25日付）<br>
<br>
　このように、上に挙げた新聞労連のアンケート結果やその労連の委員長に対するインタビューからは、クラブ開放に肯定的な記者の声が聞こえてくる。こうした声が少なからずあるがゆえに、クラブ廃止論が盛り上がりを見せてもなお求め続けるのは、記者クラブ自体の開放なのである。その一方で、クラブ廃止論者の多くはまったく理解できぬ理由によってこれを否定し続けている。そのようなクラブ開放批判を否定こそしないが、「記者クラブの開放でクラブ批判を解消していけば良いのではないか」というようなクラブ開放論のどこがいけないのかを説明してからにして欲しい。<br>
<br>
<DIV align=right>（「<a href="http://www.news.janjan.jp/media/0912/0912144397/1.php">記者クラブ廃止論者が語る『田中県政への過大評価と大ウソ』</a>」『JanJan』2009年12月28日付より）</DIV>]]> 
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<title>言葉のキャッチボールができなくなる!?</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://c-oizumi.doorblog.jp/archives/51669006.html" />
<modified>2009-12-24T22:26:26Z</modified> 
<issued>2009-12-18T15:19:13+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">　今月8日、前日付の『JanJan』に掲載された諸記事を一読した際のことである。その前日の更新で公開された「『押尾容疑者逮捕劇』と政権交代」（田中龍作記者）や「世田谷区玉川、タウンミーティングの呆れた実態」（林田力記者）など約10本の記事を興味深く読んだ。こうして...</summary> 
<dc:subject>メディア</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://c-oizumi.doorblog.jp/archives/51669006.html">
<![CDATA[　今月8日、前日付の『JanJan』に掲載された諸記事を一読した際のことである。その前日の更新で公開された「『押尾容疑者逮捕劇』と政権交代」（田中龍作記者）や「世田谷区玉川、タウンミーティングの呆れた実態」（林田力記者）など約10本の記事を興味深く読んだ。こうして様々なジャンルの記事をチェックするなかで、「JanJanは1月1日にリニューアルします（日本インターネット新聞社）」というタイトルの存在に気がつく。予期せぬ突然の発表に若干驚きつつも、私はそのタイトルの記事をじっくりと読み始めた。「JanJanは1月1日にリニューアルします」と題された記事は、次のような文章で始まっていた。<br>
<br>
　〈平素より『JanJan』をご支援いただきましてありがとうございます。さて、日本インターネット新聞社では、（引用者注、2010年）1月1日に『JanJan』をリニューアルすることにしましたのでお知らせします。<br>
<br>
　現状の『JanJan』を、よりニュースに特化した『JanJanニュース』に変更します。『JanJan』では2003年の創刊以来、市民メディアの発展のために弊社が専用に開発した記事投稿・編集システムを採用してきましたが、この間、コンピュータやインターネットに関連する技術は飛躍的に変化しました。刻々と変化する時勢に対応できるニュースサイトを目指し、今回のリニューアルでは全面的にブログシステムを採用し、より簡便に即時性の高いニュースを発信します。〉（日本インターネット新聞社「<a href="http://www.news.janjan.jp/editor/0912/0912040021/1.php">JanJanは1月1日にリニューアルします</a>」『JanJan』2009年12月7日付）<br>
<br>
　これに続けて記されたサイトリニューアルに伴う変更点で、私が気になった点はいくつもある。例えば、記者の書いた記事が一目で分かる記者プロフィールの終了（来年1月末まで）、『JanJan』での掲載記事などを紹介するメールマガジンの終了（今月29日を以って配信終了）などだ。そのなかでも一番に注目したのは、「原則として一度お送りいただいた記事は修正しませんので、投稿前に徹底した見直しをお願いします」という一文である。といっても、私が記事のなかで気になったのは「投稿前に徹底した見直しをお願いします」という方ではなく、「原則として一度お送りいただいた記事は修正しません」という箇所である。<br>
（<b>編集部注：</b>この記事は12月12日に投稿されたものです。その後、修正についての「編集便り」の当該箇所は、12月16日に「・修正作業の完了には数日お時間をいただく場合がございます。投稿前に徹底した見直しをお願いいたします。」と訂正しました。）<br>
<br>
　上に引用した一節を読んでまず感じたのは、「言葉のキャッチボールができなくなる!?」という危機感であった。そうは言っても、野球でもなく言葉のキャッチボールとは一体何ぞや、と訝しげに思う読者もいるだろう。そのため、実際にこのキャッチボールを交わしている2者のケースをひとつ紹介したい。今月10日に今年のノーベル平和賞を受賞した米国大統領のバラク・オバマとその首席スピーチライターを務めるジョン・ファブローである。彼らのキャッチボールは今年のはじめに注目を浴び、テレビや新聞などで大きく取り上げられたことは記憶に新しい。<br>
<br>
　その新聞記事のうち、1月21日付の朝日新聞に掲載された「<a href="http://www.asahi.com/special/081113/TKY200901210332.html">大統領首席スピーチライターは童顔の27歳</a>」によると、通常オバマは重要な演説を行う前にまず自分自身の考えをファブローに口述するのだという。その口述内容をファブローが文章にまとめて草案を作り、2人でキャッチボールをしながら文章を磨いていく。こうしてでき上がったのが20日に行われたオバマの大統領就任演説など一連の演説原稿である。これらの演説は全世界の注目を集め、日本ではこれを収録した演説集が大売れするなどオバマ旋風が吹き荒れた。言葉のキャッチボールから生まれたオバマの演説は、多くの人々からの注目や感動を集めたわけだ。<br>
<br>
　オバマとファブローが交わす言葉のキャッチボールは、この『JanJan』にも編集者と市民記者のやり取りとして存在している。しかし、この記事の冒頭でも述べた通り、そのキャッチボールというものは今年の12月末日を以ってできなくなる。だが多くの読者に読まれる磨かれた文章を書くというのは、「投稿前に徹底した見直しを」とは言っても1人ではそう簡単でない。作家の司馬遼太郎を例に挙げると、司馬は最晩年まで推敲作業を徹底的に行い、その過程で最初に書かれた文章の大部分を削って原稿を書き上げている。これについては、文藝春秋編『司馬遼太郎の世界』（文藝春秋）に掲載された写真などでご確認いただければと思う。<br>
<br>
　このように、スピーチの名手と呼ばれるオバマ、また昭和の大作家である司馬ですら徹底した推敲作業を経て磨かれた文章を書き上げている。私のような素人記者であればそれはなお大変であり、他者の目線で原稿を見るという限界もある。そこで司馬で言うところの鉛筆でつながれた線であり、オバマで言うキャッチボールである編集作業が必要となる。もちろん、『JanJan』の場合は大手メディアと異なり、たった1人の編集者が市民記者から寄せられた原稿の修正をこなしていることは十分知っている。それを承知の上で、できることならば「原則として一度お送りいただいた記事は修正しません」という決定を一度再考してもらいたい。（文中敬称略）<br>
<br>
<DIV align=right>（「<a href="http://www.news.janjan.jp/media/0912/0912094203/1.php">言葉のキャッチボールができなくなる!?</a>」『JanJan』2009年12月18日付より）</DIV>]]> 
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<title>『目立つ力』を読んでTwitterはじめました</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://c-oizumi.doorblog.jp/archives/51667786.html" />
<modified>2009-12-28T12:39:24Z</modified> 
<issued>2009-12-16T09:00:21+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:ooizumichiji777.51667786</id> 
<summary type="text/plain">　最近、経済評論家勝間和代さんの『目立つ力』を読んで（プラス上杉隆さんや有田芳生さんらが始められたので）、Twitter（ツイッター）を始めました。まだその使い方を把握しておらず試行錯誤の最中ですが、どうぞよろしくお願いします。できましたら、皆さんからフォローや...</summary> 
<dc:subject>お知らせ</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://c-oizumi.doorblog.jp/archives/51667786.html">
<![CDATA[　最近、経済評論家勝間和代さんの『目立つ力』を読んで（プラス上杉隆さんや有田芳生さんらが始められたので）、Twitter（ツイッター）を始めました。まだその使い方を把握しておらず試行錯誤の最中ですが、どうぞよろしくお願いします。できましたら、皆さんからフォローや使い方のご教授を頂けますと嬉しいです。<br>
<br>
　大泉千路 (oizumichiji) on Twitter<br>
　<a href="http://twitter.com/oizumichiji/">http://twitter.com/oizumichiji/</a>]]> 
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<title>映画「サウダーヂ」エキストラ募集のお知らせ</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://c-oizumi.doorblog.jp/archives/51665815.html" />
<modified>2010-02-08T05:40:40Z</modified> 
<issued>2009-12-12T15:36:46+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:ooizumichiji777.51665815</id> 
<summary type="text/plain">　先日、私が持っているメールボックスに、映画「サウダーヂ」を制作中の映像制作集団「空族」から1本のメールが届いた。10月2日付の『JanJan』に掲載された「映画『サウダーヂ』制作発表イベント潜入記」を書き上げてすぐ、制作発表イベントで知ったエキストラ登録をしてい...</summary> 
<dc:subject>お知らせ</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://c-oizumi.doorblog.jp/archives/51665815.html">
<![CDATA[　先日、私が持っているメールボックスに、映画「サウダーヂ」を制作中の映像制作集団「空族」から1本のメールが届いた。10月2日付の『JanJan』に掲載された「<a href="http://www.news.janjan.jp/culture/0910/0909019616/1.php">映画『サウダーヂ』制作発表イベント潜入記</a>」を書き上げてすぐ、制作発表イベントで知ったエキストラ登録をしていたためである。早速、メールチェックの際にこれを一読すると、現在今月27日の撮影現場に参加するエキストラを募集しており、このシーンには多くのエキストラが必要とのこと。そのため、このブログでも映画へのエキストラ参加を呼びかけたいと思い、先述した空族に「今回のメールを転載しても良いでしょうか」とメールを送った。すると、その翌日にこの映画でメガホンを握る富田克也監督から直々に返信を頂き、メールの転載を快く許して下さった。<br>
<br>
　富田監督のご厚意に心から感謝しつつ、これに甘えて空族からのメールを転載させていただく。以下に紹介する案内をご覧になって参加したいと思って下さった方は、映画の公式ホームぺージ内「エキストラ募集」ページ（<a href="http://www.saudade-movie.com/ekisutora/">http://www.saudade-movie.com/ekisutora/</a>）から是非エキストラ登録を済ませてほしい。かくいう私も、もちろん今月27日の撮影現場には参加させていただくつもりである。なお、富田監督からは「エキストラ募集に際して、『夏』の設定である旨、是非強調していただければ」との依頼を受けている。そのため、今回の映画が夏の設定であるゆえ撮影現場には夏の装いでお越しいただきたいことを改めてお願いしておきたい。<br>
<br>
<blockquote>BCCにてお送りしています。<br>
 <br>
富田克也最新作<br>
「サウダーヂ」へのご協力ありがとうございます。撮影は順調に進行しています。<br>
 <br>
皆様には師走のお忙しい中かと存じます。<br>
 <br>
そんなお忙しい中とは重々承知の上で、来る12月27日（日）のエキストラへのご参加よろしくお願い致したいと思います。<br>
 <br>
「ホテルグランヴェルジュ甲府」<br>
　17：00～22：00頃（終了時間は前後する可能性があります）<br>
<br>
〒409-3845 山梨県中央市山之神3616-4<br>
TEL: 055-273-0003<br>
（無料駐車場80台）<br>
<a href="http://www.vierge.co.jp/">http://www.vierge.co.jp/</a><br>
<br>
とある企業の創立記念パーティというシーンです。<br>
ここには社会学者・宮台真司さんも役者としてご登場頂きます。<br>
映画・TVでお馴染みの女優、亜矢乃さんも登場します。どんな役かはお楽しみに！<br>
<br>
※エキストラの皆さんにはパーティに出席する程度の正装をお願いします。<br>
<br>
女性に限り、先着順にヘアメイクも実施いたします（どこまで対応できるか予測がつきません、なるべくご自身でお願い致します）。<br>
当日は本物のお料理が出ます。撮影の進行に沿ってですが、実際に食べていただくことができます。お楽しみに。<br>
交通費、ギャラ等の支給はございません。<br>
 <br>
※このシーンには非常に沢山のエキストラが必要となります。是非ご友人・お知り合いの皆様をお誘い合わせの上、お気軽にいらしてください。</blockquote>]]> 
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<title>【羽場紅亜のコラコラコラム】外国人参政権断固反対!!</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://c-oizumi.doorblog.jp/archives/51664737.html" />
<modified>2009-12-09T23:34:22Z</modified> 
<issued>2009-12-10T08:34:22+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:ooizumichiji777.51664737</id> 
<summary type="text/plain">年明けの国会で民主党が「外国人参政権」法案を提出する予定だと

報道がありました。

その報道が事実であるならば、それは非常に危険でしょう。

外国人参政権がなぜ反対か皆さまに説明しますと、

この国の国益が他国に売り渡される危険性が十分に高いからです。...</summary> 
<dc:subject>羽場紅亜のコラコラコラム</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://c-oizumi.doorblog.jp/archives/51664737.html">
<![CDATA[年明けの国会で民主党が「外国人参政権」法案を提出する予定だと<br>
<br>
報道がありました。<br>
<br>
その報道が事実であるならば、それは非常に危険でしょう。<br>
<br>
外国人参政権がなぜ反対か皆さまに説明しますと、<br>
<br>
この国の国益が他国に売り渡される危険性が十分に高いからです。<br>
<br>
例にあげるとするならば「対馬」。<br>
<br>
対馬の市長選は、「対馬は日本の領土ではない」と発言する政治家しか<br>
<br>
当選できなくなるのです。<br>
<br>
この国の領土や国益、資源などが勝手に持っていかれるのです。<br>
<br>
おかしくありませんか。<br>
<br>
日本自体が外国人参政権によって、<br>
<br>
乗っ取られてしまう危険性もあるのです。<br>
<br>
日本が崩壊するのです。<br>
<br>
皆さまが選んだ民主党が行おうとしているのです。<br>
<br>
民主党によってこの国が売国されてしまう。<br>
<br>
それを皆さんが立ち上がり、抗議をしなければならない。<br>
<br>
みなさんの力で日本を守ろうではありませんか。<br>
<br>
この国の国益を守ろうではありませんか。<br>
<br>
外国人参政権を断固反対しようではありませんか。<br>
<br>
この国が危ないから。]]> 
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<title>塩野七生氏に異議あり!　なぜ記者クラブ全廃が必要なのか</title> 
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<modified>2009-12-08T13:04:49Z</modified> 
<issued>2009-12-04T20:41:43+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">　先月はじめのことである。高校生の頃から月刊『文藝春秋』を愛読する私は、同誌の今月号をその発売された直後に一読した。今月号で特集として組まれた「新聞が書かない鳩山政権の深層」など面白く読むことができたが、作家の塩野七生氏が連載する「日本人へ」というエッセ...</summary> 
<dc:subject>メディア</dc:subject>
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<![CDATA[　先月はじめのことである。高校生の頃から月刊『文藝春秋』を愛読する私は、同誌の今月号をその発売された直後に一読した。今月号で特集として組まれた「新聞が書かない鳩山政権の深層」など面白く読むことができたが、作家の塩野七生氏が連載する「日本人へ」というエッセイには思わず笑ってしまった。聡明なる塩野先生がこのように幼稚な論理で記者クラブの廃止を唱えるとは、というようにである。そこでまず、こうした感想を抱いた記事の一節をここに引きたいと思う。民主党政権に期待することとして、「日本とロシアの関係の最終的な決着」に次いで「記者クラブの全廃」を挙げた氏は、それによって得られるメリットについて次のように語っている。<br>
<br>
　〈このことで得られるメリットの数々は日本の中の廃止論者にまかせるとして、私はただ一点をあげるのに留めたい。それは次のことだ。<br>
　長く外国で生活していて感ずるのは、こちらのマス・メディアで紹介される日本関係の情報が極端なまでに少ないことである。それでも、一九八〇年代までは多かった。だがあれは、躍進一方の日本に欧米のメディアが強く関心を寄せた結果で、日本のほうから発信した結果でない。その証拠に、かつての日本に代わる存在は今や中国だが、中国のこととなると何もかもが報道されるようになった。<br>
　この経過を見てきて考えついたのが、今だからこそ記者クラブ制度は全廃するべき、である。なぜならこの制度が、「日本からの発信」を阻止している元凶なのだから。〉（塩野七生「日本人へ（79）戦略なくしてチェンジなし」『文藝春秋』2009年12月号）<br>
<br>
　上に引用した文章中の「こちらのマス・メディアで紹介される日本関係の情報が極端なまでに少ない」との指摘は、塩野氏が言う通りの事実なのだろう。長い海外生活を続ける氏の述懐でもあり、そこに私が口を挟む余地はない。だからと言って、その事実から「記者クラブ制度は全廃するべき」などと答えを出して良いものだろうか。実際、イギリスの哲学者であるデイヴィッド・ヒュームは、これを自然主義の誤謬と呼んで批判している。自然主義の誤謬については、ヨースタイン・ゴルデルの小説『ソフィーの世界』（日本放送出版協会）で、詳しく紹介することにしよう。<br>
<br>
　〈「だったら説明してよ。なぜ邪魔者を消してはいけない?」<br>
　「ほかの人だって命を愛しているからよ。だから殺しちゃいけないんだわ」<br>
　「それは論理的な説明?」<br>
　「さあ……」<br>
　「きみは、『ほかの人も命を愛している』という『事実を記述する文』から『だから殺してはいけない』という『行動方針を命じる文、あるいは規範を示す文』を引き出した。つまり事実判断をそのまま価値判断にしてしまったんだ。よく考えてみると、これはばかげている。だったらまったく同じように、税金をごまかす人がたくさんいるという事実から、きみもそうするべきだ、と結論することだってできる。ヒュームは、けっして『である文』から『べき文』は結論できない、と言っている。でも、そういうことがあまりにも目につくよね。とくに新聞記事とか、政党の綱領とか、議会での演説とか。いくつか例をあげようか?」（以下略）〉（ヨースタイン・ゴルデル著『ソフィーの世界―哲学者からの不思議な手紙』日本放送出版協会）<br>
<br>
　自然主義の誤謬とは、上に引いた小説のなかの登場人物のやり取りにもあるように、「事実を記述する文」から「行動方針を命じる文、あるいは規範を示す文」を引き出す、すなわち事実判断を価値判断に持ち込む論法である。先述した塩野氏のエッセイは、こうした乱暴な論法に基づいたものであるだろう。なぜなら、「こちらのマス・メディアで紹介される日本関係の情報が極端なまでに少ない」という事実から、「今だからこそ記者クラブ制度は全廃するべき」などと結んでいる。だがこの場合、私の主張する「今だからこそ記者クラブ制度は自主的に開放されるべき」という他の選択肢が出てくるはずだ。<br>
<br>
　こうしたことからも、「けっして『である文』から『べき文』は結論できない」ことが分かるだろう。それにも関わらず、である文からべき文を塩野氏が引き出したがゆえ、そのエッセイを読んだときに思わず笑ってしまったわけだ。塩野七生氏もそうだが、クラブ廃止論者が書いた文章を読むたびに、『ソフィーの世界』の言葉を借りて「それは論理的な説明?」と問いかけたくなる。「今こそ記者クラブ制度の廃止を」と結論こそ明快ながら、その根拠となると開放論の根拠ともなる事実しか挙げられないからだ。といっても、ここで記者クラブを擁護するつもりはなく、廃止論者の言う論理があまりに短絡的で意味不明だと言っているに過ぎない。<br>
<br>
　また、塩野氏は先に紹介したエッセイの終わりで、次のようにも語っている。<br>
<br>
　〈これが、民主党が約束したとおりに実現したならば、何よりもまず、政治家と官僚と記者の伝達能力が格段に向上するだろう。そして、外国のメディアと日本のフリーランスという従来の制度では異分子だった存在も入れることで、日本のメディアも活気づいてくるはずだ。<br>
　文明とは歴史が証明しているように、異分子が加わることによって生ずる幾分かの拒絶反応を経験して初めて、飛躍的に発展するものなのである。<br>
　日本は閉鎖的だと非難しつづけてきた外国のメディアに対し、記者会見完全オープンという旗印で臨んでほしい。そうすれば日本も、本気でチェンジしたと思うにちがいない。なにしろ日本には、きちんと見せたら誰でも興味をそそられること必定のものや出来事が、まだまだ充分にあるのだから。〉（「日本人へ（79）戦略なくしてチェンジなし」）<br>
<br>
　しかし、「なにしろ日本には、きちんと見せたら誰でも興味をそそられること必定のものや出来事が、まだまだ充分にあるのだから」などと呑気なことを言っていられるほど、現実は甘くはないように思える。海外在住の塩野氏は知らないのかもしれないが、日本国内に支局を置く海外メディアの現実はむしろ厳しいと言わざるを得ない。先月16日に掲載された「権益に固執するメディア、記者クラブが日本の情報発信を阻害する」のなかで、次のような指摘がなされている。ちなみに、この記事の筆者である上杉隆氏は現在フリーのジャーナリストだが、米紙『ニューヨーク・タイムズ』の元東京支局記者でもある。<br>
<br>
　〈ニューヨーク・タイムズ東京支局は特派員の数を減らし、ワシントンポストは東京支局を支局長宅に移設し、ロサンゼルス・タイムズは日本から完全に撤退した。すべてここ1年で起きたことである。<br>
　欧州やアジアの新聞も同様である。今や世界中のメディアが日本から逃げ出している。<br>
　戦前からの長い期間、先の大戦の最中ですら、通信員を置き続けてきた3大米紙の日本撤退（縮小）は何を意味するのか?<br>
　それは、単に本社の経営問題だけが理由ではない。それならば、各社が厳しい財政事情の中、中国や朝鮮半島に新たに支局を開設していることの説明できない。（※原文ママ）<br>
　実は、東京支局の撤退・縮小の背景には、日本社会ではタブーとなっている記者クラブ問題が関係しているのだ。（中略）<br>
　海外支局の新設には、カネも、人も、時間もかかる。おそらく一度閉じた支局が再び東京で開くことはないだろう。日本政府は情報発信といいつつ、自ら情報の発信源を切り、海外メディアを排除してきた。今や彼らは要求することを放棄している。なぜなら、記者クラブと闘ってまで取材する魅力を日本には感じなくなってしまったからだ。〉（上杉隆「<a href="http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/c53bdaf3ceab2ca68102a45bb5189126/">権益に固執するメディア、記者クラブが日本の情報発信を阻害する</a>」『東洋経済オンライン』2009年11月16日付）<br>
<br>
　もちろん、今後記者会見の開放を機に参入する海外メディアも出てくるかもしれないが、それはフリーランスやネットメディアの記者と比べて「日本のメディアも活気づいてくる」ほどの人数でないだろう。上杉氏が指摘しているように、アジアやヨーロッパなどのメディアが逃げ出している今、「記者会見完全オープンという旗印で」とはいっても、「日本も、本気でチェンジした」と思うとは限らない。むしろ相手の立場に立って考えれば、何を今さら、誰が行くかとなるのが自然ではないか。ただ、今回のエッセイのなかでも同意できるところがあったのもまた事実である。最後に、氏に共感することのできるその主張を以下に紹介しておきたい。<br>
<br>
　〈情報伝達に関与している人間として、私も片足つっこんでいるので自分自身の問題として考えるのだが、何よりも欲しいのは情報である。だが、情報とは受ければそれで終わり、というものではない。<br>
　まず現場で、つまり問題に関係すること大の場所で、受けることが重要だ。<br>
　ただし、それだけでは充分ではない。受けた情報を即座に頭の中で動かして、私のやり方ならばカードを並べ直して、これによって出てくる疑問を質問という形で問う作業になってくる。つまり記者会見とは、内閣府や省庁が伝えたいと思っていることを伝える場ではまったくなく、伝えられる側による自由で闊達な質問とそれに対する回答、がなければ意味が無いのだ。（中略）<br>
　記者会見の席を、従来の記者クラブの会員である日本の大新聞や大テレビにだけ限るのではなく、その他のメディアたちにも与えるだけでは、だから私の考えでは、オープンにしたことにはならないのだ。自由で、ということは質問する側もそれに答える側も、予期していなかった状態で向き合う場、にならないかぎり、記者会見のオープン化にならないし、記者クラブ制度を廃止するメリットもないのである。〉（「日本人へ（79）戦略なくしてチェンジなし」）<br>
<br>
　記者クラブの廃止是非では意見を真っ向から対立させる一方で、これら記者会見の開放についての指摘には同じ考えである。記者クラブからの質問を優先させ、時間の制約を理由にフリー記者らの質問を拒否する会見は、「記者会見の開放」とはまるでかけ離れている。それとは別に、自身のウェブサイトのなかで次のような本音を漏らしているジャーナリストの大谷昭宏氏などと比較すると、塩野氏が会見開放の意義を十倍、否、百倍理解していることは否が応でも認めざるを得ない。<br>
<br>
　〈本音を申せば、記者クラブに入って定例の記者会見といった玄関ダネを欲しがってどうするのだ、というところである。各社の記者を前にして定期的に行われる記者会見のどこに魅力があるというのか。翌日の新聞を見れば、どこの新聞、テレビだってそのニュースは扱っている。フリーランスは、そうした玄関ダネの取材はありがたいことに記者クラブ加盟社の記者がやってくれると思っていたらいいではないか。そこに出て行って、各社の記者と一緒に聞いたことを書いた記事やVTRをどこの社が買ってくれるというのだ。〉（「<a href="http://homepage2.nifty.com/otani-office/column/ot_053.html">記者会見公開論議、本音を申せば</a>」『大谷昭宏事務所』2009年11月4日付）<br>
<br>
<DIV align=right>（「<a href="http://www.news.janjan.jp/media/0912/0911243552/1.php">塩野七生氏に異議あり!　なぜ記者クラブ全廃が必要なのか</a>」『JanJan』2009年12月3日付より）</DIV>]]> 
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<name>ooizumichiji777</name> 
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<title>伊藤真さんの憲法講演会に行ってきました</title> 
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<modified>2009-11-30T01:40:47Z</modified> 
<issued>2009-11-29T17:46:35+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">　11月28日（土）、山梨県山梨市の夢わーく山梨（働く婦人の家・勤労者福祉センター）で行われる憲法講演会に参加した。講師は伊藤塾塾長で法学館法律事務所所長弁護士の伊藤真さん、演題は「今こそ『憲法の力』をつけよう!～これからの社会を主体的に生き抜くために～」。主...</summary> 
<dc:subject>憲法</dc:subject>
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<![CDATA[<a href="http://livedoor.blogimg.jp/ooizumichiji777/imgs/2/9/29a27fbb.JPG" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/ooizumichiji777/imgs/2/9/29a27fbb-s.JPG" width="159" height="119" border="0" alt="伊藤真さん" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a>　11月28日（土）、山梨県山梨市の夢わーく山梨（働く婦人の家・勤労者福祉センター）で行われる憲法講演会に参加した。講師は伊藤塾塾長で法学館法律事務所所長弁護士の伊藤真さん、演題は「今こそ『憲法の力』をつけよう!～これからの社会を主体的に生き抜くために～」。主催者は、山梨9条の会と山梨女性9条の会である。ただ、私の予想以上に会場では空席が目立ち、私と同じ年代の参加者もまばらであった。だいたい100人超の参加者のうち、私を含めて4、5人といったところだろうか。<br>
　伊藤さんの講演の前には、山梨萌（もえぎ）の会のメンバーによる文学作品の朗読が行われた。作品としては、与謝野晶子「君死にたもうことなかれ」や峠三吉「原爆詩集」、今道友信「温かいスープ」などである。いずれの作品の朗読からも、人を思いやる温かさや人と人との助け合いといったものが感じられ、それと同時にそれらの大切なものを失いつつある日本の今に強い危機感を覚えてならなかった。<br>
　この朗読に続いて行われた憲法講演会のなかでは、何のために憲法を学ぶのかといったテーマで幅広く話を聞くことができた。そのなかでも興味深かったのは、日本国憲法第99条の「憲法尊重擁護の義務」を挙げた上で、我々国民は憲法を守る側でなく国に守らせる側だ、強い者を縛って弱い者を守るのが憲法の役割だ、との指摘である。この指摘は、私にとって目から鱗の思いがするとともに、国民の一人として憲法を守らせるために憲法を学ぶ必要性を強く感じた。<br>
　ここまでブログに掲載するための原稿を書いていて、朗読と講演のいずれでも年配の方の携帯電話が鳴ったことをふと思い出した。今回の講演で伊藤さんはこう語っている。「人間とゴリラの違いは、共感力、思いやりを持っているかでどうかである」「“相手の立場に立って考えること”が重要である」と。講演中に携帯電話が鳴ったからこの発言を、というわけでは無いのだろうが、もしかしたら人間が共感力なきゴリラに退化する「人間のゴリラ化」が進んでいるのかもしれない。]]> 
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<title>「記者クラブ最後の悪あがき」フリーライターたちの証言</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://c-oizumi.doorblog.jp/archives/51656001.html" />
<modified>2009-11-23T07:17:13Z</modified> 
<issued>2009-11-23T16:11:17+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">　9月16日に行われた鳩山首相初会見以降、記者会見の開放を求める記事が雑誌やネットなどに多く登場するようになった。それは、『Grazia』や『女性自身』などの女性誌でも取り上げられるようになったことからも分かるだろう。

　なかでも、フリーランスで活躍するライター...</summary> 
<dc:subject>メディア</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://c-oizumi.doorblog.jp/archives/51656001.html">
<![CDATA[　9月16日に行われた鳩山首相初会見以降、記者会見の開放を求める記事が雑誌やネットなどに多く登場するようになった。それは、『Grazia』や『女性自身』などの女性誌でも取り上げられるようになったことからも分かるだろう。<br>
<br>
　なかでも、フリーランスで活躍するライターやジャーナリストが書いた論考は、特に興味深いものがある。それは、記者クラブや官僚などと闘う彼ら彼女らが伝える真実から、「記者クラブ最後の悪あがき」が我々の目に見えてくるからだ。ここでは、まず中央省庁での会見開放をめぐる攻防を目の当たりにした記者の証言をいくつか紹介する。その上で、記者クラブ廃止論が広がりつつある今、クラブメディアの記者にクラブ自体と記者会見などの自主開放を求めたい。<br>
<br>
　まず紹介するのは、霞が関の中央省庁のなかで真っ先に記者会見を開放した外務省の岡田克也外相に対する悪あがきである。メディア批評誌『創』2009年12月号で、フリーライターの丸山昇氏が外務省の会見開放をめぐる経緯について述べている。いささか長くはなるが、重要な証言のひとつであるため、要点を抜粋してここに引用したい。<br>
<br>
　〈岡田大臣は、就任2日後の9月18日に行った外務省に足場を置く記者クラブ「霞クラブ」との記者会見で、「大臣会見に関する基本的な方針について」と題する文書を配布した。そこには《原則として毎週2回、外務省内で定例記者会見を開催する》としたうえで、《大臣会見は、外務省記者会（「霞クラブ」）所属メディアに限らず、原則として、全てのメディアに開放する》と、明示されていた。大臣主導で、会見開放を表明したのである。同時に閣議後の会見（ぶら下がり会見）の方は、行わない意向を示した。（中略）それでも霞クラブ側は、外務省主催という形態を全面的には受け入れていないとしてきたこともあり、その日のうちに「大臣会見に関する基本的な方針についての要望」をまとめ、岡田大臣側に示した。会見開放については「各社で検討中」などとし、閣議後の取材機会の確保を求めていた。<br>
　これに対し岡田大臣側は、閣議後の「ぶら下がり（囲み取材）」は認め、当面は副大臣の会見も従来どおり霞クラブと行うという柔軟な姿勢を見せた。しかし、大臣会見の開放については、まったく譲る気配を見せなかった。そこで霞クラブ側は、9月25日に「記者会見等に関する見解」という文書を、再び岡田大臣側に示す。そこには《クラブ加盟社や上位組織との話し合いを見守りながら、検討していくとした》（「新聞協会報」09年10月6日号）などとし、結論を先送りして抵抗を続けた。（中略）<br>
　岡田大臣側は、「大臣会見に関する基本的な方針について」の内容を一部改定し、9月29日の記者会見で配布した。そして岡田大臣は、こう通告した。<br>
　「18日に一旦方針をお示ししましたが、外務省記者会霞クラブから様々なご意見をいただき、この間その実施を見合わせてきたわけですが、霞クラブから記者会見の開放そのものについての明確な見解は、示されませんでした。従って、あれから時間も10日以上経ったということで、『（配布した）基本方針』に基づいて、今日から大臣、副大臣の記者会見を全てのメディアに公開することにしたいと考えています」<br>
　18日の方針より一歩踏み込み、大臣会見だけでなく副大臣の会見も、全メディアに開放するとしたのだ。〉<br>
　（丸山昇「もう『NO』とは言えない『会見開放』の奔流」『創』2009年12月号）<br>
<br>
　9月29日の記者会見に出席したジャーナリストの田中龍作氏は、自身のブログのなかで「記者会見に臨んでいた筆者は、岡田大臣はごく常識的なことを言っているもので、記者クラブなる組織がそれに異論を唱えることの方が不可解でならなかった」と語っているが、この田中氏の意見には私も同感である。後述する上杉隆氏の言葉を借りて言えば、「きっと意味不明の詭弁を弄して、自らのつまらない既得権益を守ろうとしているのだろう」（「<a href="http://diamond.jp/series/uesugi/10097/">亀井大臣に同じ会見を2度行わせる、記者クラブの呆れた抵抗</a>」『ダイヤモンド・オンライン』2009年10月15日付）。丸山氏が証言した内容こそ、まさに文字通り最後の悪あがきであり、これには記者クラブに対して怒りを通り越して呆れ果ててしまった。<br>
<br>
　次に、外務省に続いて記者会見を開放した金融庁の亀井静香金融担当相への悪あがきを紹介したい。記者クラブ問題で孤軍奮闘するジャーナリストの上杉隆氏は、前述した『創』12月号のなかで金融庁の会見開放までの内幕を次のように証言している。<br>
<br>
　〈（引用者注．テレビ番組出演の際、偶然隣り合わせた亀井担当相に記者会見の開放を求めた）その後、亀井さんや秘書官からも電話を貰って「会見に出てもらうから、何時何分に金融庁に来てくれ」と言うので、「ああ、これはオープンになったんだな」と思い、金融庁に行ったんです。そうしたらオープンになっていたのは私だけで、相変わらず記者クラブ主催だったわけです。だから質疑応答の冒頭でトップバッターとして、岡田さんのときと全く同じ質問をしました。<br>
　「大臣、私の他にフリーランス記者が見当たらないのですが、これは大臣の主催なのですか、記者クラブの主催なんですか。仮に記者クラブの主催だったら、法的根拠を示して下さい」と言ったところ、亀井さんが「上杉さん、恥ずかしながら私は知らなかったんですが、これは記者クラブの主催らしいんだ。代表者会議を今日、明日でやるので、その代表者会議で許可が出たら、上杉さんも正式に入れる。今日は私の招待ということで入っているんだ」と答えた。（中略）<br>
　次の日くらいにまた亀井さんサイドから「大臣会見にあなたは入れないと言われた」という電話が掛かってきた。代表会議の結果、いつものことながらフリーランスの私の入場は記者クラブから拒否されたんです。（中略）そうしたら次の亀井さんの会見から前半は記者クラブ主催、後半は海外メディア、フリーランス、雑誌、ネットのメディアが入れる大臣主催会見を開くようになったんです。<br>
　驚くのはその結果、亀井さんに対して「話がおかしい。記者クラブの運営の問題として支障が出る」という不満が記者クラブから出たことです。すると亀井さんが逆に激怒して、「運営に支障が出るのは記者クラブの連中が仲間を入れないからで、国民の知る権利や情報公開を逆行するようなことをするからだ。だから結局運営に支障が出るように、1時間の会見が30分になって、しかも後半は連中は入れない。私は後半で本当のことを全部言うから。前半では絶対に言わないから」と（笑）なってしまったわけです。〉<br>
　（上杉隆「民主党政権誕生下での記者会見開放をめぐる攻防」『創』2009年12月号）<br>
<br>
　亀井担当相はこうした事情があって、前半は記者クラブメディアの記者のみが出席できるクラブ主催の会見を、後半は海外メディアやフリーランス、ネットメディアの記者が出席する大臣主催の会見を開くようになった。前記した「亀井大臣に同じ会見を2度行わせる、記者クラブの呆れた抵抗」のなかで、上杉氏はこの形式による会見を「亀井大臣による世にも奇妙な1日2回の同じ内容での記者会見」と評している。確かに氏の言う通り、同じ内容が複数回に渡って報告される会見は世にも奇妙だ。多忙な大臣に同じ会見を2度も行わせてまで守りたい既得権益とは一体何なのか、私としては強い疑問を抱いてならない。<br>
<br>
　上杉氏や私などと同様、この奇妙な現象に疑問を抱いた『ニューヨーク・タイムズ』東京支局長のマーティン・ファクラー氏は、11月10日の記者会見のなかで次のように質問した。「記者会見について聞きたいんですけども、あの、毎日、毎回、2回記者会見をやらなければならないという異常な状態で、まあ大臣にとっても面倒臭いと思いますけど（笑）。大変ですよね。時間もかかるし。貴重な時間ですし。この異常な状態をどのくらい続けるつもりであるかということと、あとこういうふうに、二つの記者会見をしないと駄目だという異常な状態についてのご見解を……」（「<a href="http://www.iwakamiyasumi.com/column/politics/item_126.html">『記者クラブに入っている人たちだけがジャーナリストじゃないんです。彼らは思い上がったらいけません』～11月10日亀井大臣オープン記者会見3</a>」『Web Iwakami』）。<br>
<br>
　当の亀井担当相は、ファクラー氏の質問に対して次のように答えている。なお、この回答の一部は、今月20日に掲載された氏の執筆記事でも紹介されていることを付記しておきたい（Martin Fackler, "<a href="http://www.nytimes.com/2009/11/21/world/asia/21japan.html?_r=1">New Leaders in Japan Seek to End Cozy Ties to Press Clubs</a>", The New York Times, November 20, 2009）。<br>
<br>
　〈これはね、原因がマスコミのね、閉鎖性って言うしかないです。共同で、認めりゃ良いんですよ、この記者クラブが。だから、記者クラブ主体になってるからね、私が一緒にすると言っても『嫌だ』ってものはやりようがない。だからそれなら、ね、あなた方との時間を半分にして、ここであとやるよと言ってやってるわけなんだよね。だから彼らがいつまでも閉鎖的でわからずやであれば、続けて行きますよ。こういう状況。何もね、あの記者クラブ側に入ってる人たちだけがジャーナリストじゃないんです。ね、彼らは思いがあったらいけません〉（「『記者クラブに入っている人たちだけがジャーナリストじゃないんです。彼らは思い上がったらいけません』～11月10日亀井大臣オープン記者会見3」、原文ママ）<br>
<br>
　ファクラー氏とのやり取りのなかで語られた「何もね、あの記者クラブ側に入ってる人たちだけがジャーナリストじゃないんです。ね、彼らは思いがあったらいけません」との指摘は、けだし至言であろう。「記者クラブに属する記者こそがジャーナリストだ」などという考えを持っている（と推察できる）記者クラブには、甘ったれるのもいい加減にしろと言いたくなる。事実、クラブメディアの記者が知っているかは分からないが、鳩山首相初会見後から記者クラブ廃止論が広がりを見せている。あくまでクラブ開放論者の私の感覚であるが、それゆえに記者クラブには猶予が残されていないように感じられてならない。<br>
<br>
　今こそ、良識ある記者クラブ、特に内閣記者会（首相官邸の記者クラブ）の記者は、こうしたクラブ廃止論の広がりと、民主党議員は野党時代の「会見開放宣言」とその公約の未達成という事実と真剣に向き合うべきだ。そして彼ら彼女らには、「クラブをもっとオープンにして、外国メディアも含めて出入り自由にすることで、かえって既存のメディアが強くなれるのではないか」（『朝日新聞』2009年7月24日付朝刊）という提案を武器に、クラブ開放に抵抗する一部の政治家、官僚、記者らと対峙する覚悟を奮い起こしてもらいたい。クラブ開放がすでに遅きに失しつつある今、もはや記者クラブ、民主党政権の無策は許されないのである。 <br>
<br>
<DIV align=center>◇　◇　◇</DIV><br>
関連記事<br>
<a href="http://www.news.janjan.jp/government/0910/0909210566/1.php">民主党政権よ、会見で質問した記者の名を明らかにせよ</a><br>
<br>
<DIV align=right>（「<a href="http://www.news.janjan.jp/media/0911/0910302455/1.php">『記者クラブ最後の悪あがき』フリーライターたちの証言</a>」『JanJan』2009年11月23日付より）</DIV>]]> 
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