今月上旬、お笑い芸人のブログに誹謗中傷の書き込みをしたとして、警視庁が17歳から45歳までの男女19人を名誉毀損などの容疑で書類送検する方針を固めたとの報道があった。誹謗中傷によって、ブログそのものやコメント欄が閉鎖に追い込まれるケースは過去にもあったが、今回のような警察による一斉摘発は非常に珍しいケースである。そのため、テレビのワイドショーのみならず新聞などでも大きく取り上げられたことは記憶に新しい。この事件の教訓は数多いだろうが、そのなかのひとつを挙げれば「インターネットは完全な匿名ではなく、発信者を特定することが可能である」ということであろう。

 ブログのコメント欄や匿名掲示板などへの書き込みは、不完全ながらも確かに匿名であろう。しかし、その匿名性に付け込んだ法に触れる書き込みの多くは、IPアドレスから記入者が特定され、書類送検や逮捕などがなされている。「匿名でも本人特定 ブログ“炎上”、接続履歴から立件」(『産経新聞』2009年2月7日8時5分配信)というネット記事によると、先述したお笑い芸人のネット中傷事件でもIPアドレスが記入者の特定に用いられた。ブログへの書き込みで残ったアドレスからプロバイダーなどを特定し、履歴の情報開示を受けて記入者個人を明らかにしたという。つまりは、不完全な匿名を隠れ蓑に、一方的に誹謗中傷などを書き込む「言い得」が通用しないことを周知させなくてはならない。

 以前、新人の新聞記者は、ペンは人を殺すこともあるということを先輩記者から教えられるとの話を聞いたことがある。ネット社会の現代において、この話は新聞記者のみならず、ネットユーザーにも当てはまる教えとなるだろう。「ペンは人を殺すこともある」という言葉は決して脅しなどではない。実際に中高生の間では学校裏サイトなどで精神的に追い込まれて自ら命を絶つことが起こっており、お隣の韓国では、ネット上でネット中傷を受けた有名人の自殺が相次いでいるという。このように、ネット中傷は他者を死に追いやることもある。それを大いに自覚し、「ペンは人を殺すこともある」という言葉を戒めとしたい。

 ただ、ネットユーザーの自覚だけで、社会問題化しつつある「ネット中傷」という問題が解決するとは私も思っていない。この他にも、あくまで一案ながら、学校や会社のなかで、幅広い内容のメディア・リテラシー教育を進めていくべきであろう。IT-PLUSの連載コラム「ガ島流ネット社会学」のなかで、ガ島通信主宰の藤代裕之氏は、「従来のリテラシー教育は、エクセルやワードといったツールの利用方法かメディアの受け手としての理解教育に限られていた」と指摘している。氏の言う「従来のリテラシー教育」の受け手であった者として、これまでのリテラシー教育が内容に限られていたという指摘に同調する。

 私自身、学校の授業でパソコン、エクセルやワードなどの使い方を学んだことで、「コンピューターや先端的な情報通信機器を使いこなせる能力」(「メディアリテラシー」『大辞泉 増補・新装版』)は向上したように思っている。だが、ネット中傷と深い関係を持っている「メディアが伝える価値観・イデオロギーなどをうのみにせず、主体的に解読する力」(同上)を高めるための教育は含まれていなかった。内容の限られたリテラシー教育によって、後者の意味でのメディア・リテラシーを持たないままに他者を中傷してしまった場合、加害者の「自己責任」として片づけてよいものだろうか。事実、今回のネット中傷事件でも、その加害者のなかのひとりが調べのなかで「ネット上のうわさを事実と信じ込み、『許せない』と思った」と答えたという(「スマイリー、ブログ炎上で18人立件へ」『デイリースポーツ』2009年2月6日9時21分配信)。ネット中傷の解決には、この事実を謙虚に受け止め、正しいネットの使い方を学ぶ機会づくりとしてリテラシー教育の拡充を進める必要があるだろう。