名前を示して取材責任を明確にせよ
地方自治体のウェブサイトに掲載される会見録には、質問した記者について「記者」や「○×新聞」としか書かれず、その多くは会見者に質問した記者のフルネームを示していない。事実、47都道府県の中で記者のフルネームと媒体名を掲載しているのは、長野県と鳥取県の2県のみである。また、大方の記者会見で質問する記者にはカメラを向けないため、記者会見の動画には知事や市長など会見者の姿しか映っていない。
そして、この現状に強く疑問を感じた私は、質問者に対するフルネーム発言のルール化、会見録での媒体名と氏名の公表、また会見カメラでの記者撮影を「日本報道維新論」のひとつとして提案する。
私が提案するこれらの方策は、取材される側だけでなく取材する側も取材に対するクリティーク(評論・批判)に晒されることを意味する。会見の場で自分の名前や媒体名などを言うことは、先日私も長野県の知事会見を取材して経験したが、それによって私を含む記者の中で市民に理解されない質問をする記者が現れた時に良い意味でその記者は評価され、責任が問われる。すべては市民が記者を評価していくということである。
それゆえに、記者のフルネームと媒体名の発言を原則とする「質問者の発言・公表による責任の明確化」は、個々の記者の資質を問う革命とも言えよう。ただ、あくまで仮定の話だが、実際にこれらの方策を地方自治体に提案した時、取材のクリティークなどに晒されてはかなわないと記者クラブが反対する可能性、反対はしなくとも、自分が所属する会社と自分自身の名前が動画などで流れるのを嫌って質問を控える可能性がある。
もしそうやって取材のクリティークに晒される責任から逃げたとして、それで自分は記者だと胸を張って言えるだろうか。私たち物を書く人間は、プロ、アマ関係なくきちんと名前を出して自分の責任の下で物を言い、物を書かなくてはならない。それに怖気づいて名前の公表に反対する記者、発言を控えるような記者はすぐに職を辞すべきだ。自分の発言に責任を持てない記者に、物を書く資格や物を言う資格などあろうはずもない。
地方自治体のウェブサイトに掲載される会見録には、質問した記者について「記者」や「○×新聞」としか書かれず、その多くは会見者に質問した記者のフルネームを示していない。事実、47都道府県の中で記者のフルネームと媒体名を掲載しているのは、長野県と鳥取県の2県のみである。また、大方の記者会見で質問する記者にはカメラを向けないため、記者会見の動画には知事や市長など会見者の姿しか映っていない。
そして、この現状に強く疑問を感じた私は、質問者に対するフルネーム発言のルール化、会見録での媒体名と氏名の公表、また会見カメラでの記者撮影を「日本報道維新論」のひとつとして提案する。
私が提案するこれらの方策は、取材される側だけでなく取材する側も取材に対するクリティーク(評論・批判)に晒されることを意味する。会見の場で自分の名前や媒体名などを言うことは、先日私も長野県の知事会見を取材して経験したが、それによって私を含む記者の中で市民に理解されない質問をする記者が現れた時に良い意味でその記者は評価され、責任が問われる。すべては市民が記者を評価していくということである。
それゆえに、記者のフルネームと媒体名の発言を原則とする「質問者の発言・公表による責任の明確化」は、個々の記者の資質を問う革命とも言えよう。ただ、あくまで仮定の話だが、実際にこれらの方策を地方自治体に提案した時、取材のクリティークなどに晒されてはかなわないと記者クラブが反対する可能性、反対はしなくとも、自分が所属する会社と自分自身の名前が動画などで流れるのを嫌って質問を控える可能性がある。
もしそうやって取材のクリティークに晒される責任から逃げたとして、それで自分は記者だと胸を張って言えるだろうか。私たち物を書く人間は、プロ、アマ関係なくきちんと名前を出して自分の責任の下で物を言い、物を書かなくてはならない。それに怖気づいて名前の公表に反対する記者、発言を控えるような記者はすぐに職を辞すべきだ。自分の発言に責任を持てない記者に、物を書く資格や物を言う資格などあろうはずもない。
(つづく)
