今の日本は「寂しい国、日本」だ
 ―第一章イラク人質事件と銃後の思想に関連して


 『安心のファシズム ―支配されたがる人びと―』と題されたこの新書の著者でフリージャーナリストの斎藤 貴男氏は本書の冒頭で、インターネット掲示板で溢れた(04年イラク人質事件での3人の人質やその家族らに対する)誹謗中傷、またそういった類の罵倒の数々として「生きたまま火あぶりだ」や「チーン♪」「バーベキューが楽しみ」等の言葉を紹介している。
 本書を通じこの罵倒の数々を読んで、これが同じ国家に生まれ育った日本人に対して言う言葉か、これではあまりにも冷酷かつ非情過ぎると思った。今の日本は某議員の言う美しい国などではなく、国民全体が同国民を思いやれる寛容さを失いつつある「寂しい国、日本」だと強く実感した。
 また、このイラク人質事件に関して本書で紹介されている、元外務事務次官で日本財団特別顧問の村田 良平氏とノンフィクション作家として著名な上坂 冬子氏の対談の(上坂氏が04年4月11日付の産経新聞に寄せた人権問題についての寄稿をめぐって交わされた)やり取りも読んだ。
 この対談の中で上坂氏が「私だって、村田さん宛てに書くのなら『殺しなさい』と書きますよ」と笑いながら村田氏に話し、以前外務事務次官を務めたともあろう人間がこともあろうか何の反論もせずに話を続けるという会話があった。一部ながらもそれらの会話を以下に引用し、ご紹介する。

<村田 それこそ新聞で上坂さんが書かれたように、「自己責任」です。(中略)ただ正直、あの文章のなかに「筆をお曲げになっているかな」と思う個所がありました。あのような正論をお書きになるときに、上坂さんほどの方でもある種の遠慮をおもちかと思いました。
上坂 たしかに「人質になった方々の親御さんの心中はいかばかりかとお察しするが」とか「いま、この最中に言うべきことではないかもしれないが」などという文言は、あとから追加補足した部分です。私なりに分別ありげに説得したくて(笑)。(中略)
村田 いまおっしゃった分別というのは、戦後五十年間で蓄積されたしこりのようなもので、それが日本人のなかに残っているのかもしれません。正論を書いても、一言一句をとらえてそれに不当な非難や言いがかりをつける風潮があるのです。しかし私の兄などは、私宛ての私信ですが、「この三人は死んでも止むを得ない」と書いてました。
上坂 私だって、村田さん宛てに書くのなら「殺しなさい」と書きますよ(笑)。
村田 そこで初めて、日本人の夢が覚めると。
上坂 ほんとうにそう(笑)。>

(斎藤貴男著『安心のファシズム』岩波新書より一部引用。
 同書引用元『Voice』04年6月号「見苦しかった人質家族」)

 「自己責任」という一語で同じ祖国を持つ同国人が殺されても仕方が無い、死んでも止むを得ないとして片付けようとする冷淡さをごく普通の日本人の多くが心の何処かに持ち合わせている現実が、著者が「神にも等しい視点の高さ」と評する村田・上坂両氏の対談からはひしひしと感じ取れ、この現実が同じ日本人である私にはとてつもなく恐ろしい事のように思えた。
 人質なんか殺してしまえと言わんばかりに対談の中で笑っていた上坂氏らを含め、この人質事件で人質バッシングを行った日本人は、本書に記される「他人を批判する場合の最低限のたしなみ」さえ無視して他人という存在を批判したものと感じられる。しかし、この最低限のたしなみさえも守らないような人間に誰かを非難する権利があるのかと私には思えてならない。
 また某ネット掲示板で(筆名など)自分の名を明かさずに、前述した汚い言葉で人質やその家族らを罵る卑怯があってはならず、品格あるべき日本人はそういった卑怯を決して許してはならないと本章を読んで思った。

斎藤貴男著『安心のファシズム―支配されたがる人びと―』
(岩波新書、2004)