私が利用しているライブドアブログで、ある共通テーマ(いわゆるブログネタ)での投稿募集がはじまった。そのテーマは、「あなたが『研修』時代に出会った“スゴイ”人物とは?」というものである。これについて私が書くとすればアマチュアの市民記者としての研修ということになるだろうが、先述した通りアマ記者に過ぎない私は研修などという高尚なものを受けたことがない。すべて図書館や書店などで入手でき得る限りの本を読みあさっての独学である。ゆえに、私にとっての研修とは本を通じて先達の技を真似ることであった。そのなかでも、先に紹介した投稿募集のページにある「その後の人生を変えるような素敵な出会い」という意味ではノンフィクション作家の野村進氏、正確に言えば氏の著書の『調べる技術・書く技術』(以下、『調べる―』と記述)との出会いが最も大きかったように思う。

 ちなみに、上に紹介した野村氏はかつて大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞をダブル受賞したノンフィクション作家であり、現在は拓殖大学国際学部教授として教壇に立たれている。氏の『調べる―』との出会いは、書店で求めたのちアマチュアで取材執筆を始める私の人生を変えたと言っても過言ではない。というのも、文章の書き方といったノウハウ本は数あっても取材論やルポルタージュ論関連の本は絶版や品切れなどで入手できないことも少なくない。こうした現状のなかで、テーマ選択から原稿の仕上げまで教えてくれる『調べる―』には大いに助けられている。最近放送が始まり、毎回欠かさずに視聴している連続ドラマに「最上の命医」や「大切なことはすべて君が教えてくれた」などがあるが、上に述べた意味では私にとっての「君」が他ならぬ野村氏というわけである。

 私の場合、いざ机に向かって文章を書きはじめようという時やペンを持つ手が進まなくなった時など、野村氏の『調べる―』を書棚から取り出して好きなところから読みはじめる。氏はペンを研ぎすませる「ペン・シャープナー」といった本や手帳を手元に置いておくことが重要だと語っているが、それを教えてくれる『調べる―』が私にとって「ペン・シャープナー」のひとつとなっている。実際、一流と言われるプロフェッショナルの深い言葉に触れると、よし私も書こうと文章を書く意欲が高まるのだから不思議である。ここでは、先述の投稿募集ページに記された「印象深かった先輩の言葉」として(私が仰ぐ文章の師表という意味で)、原稿の書きはじめや仕上げの前に読み返す氏の言葉を紹介したい。

 〈○自分の書いた文章を読み返すときには、必ず声に出して読むこと。黙読した際には「このままでよい」と思えた文章でも、声に出してみると、つっかえたり言いよどんだりするものだ。そのときには、ためらわずに書き直す。(中略)自分の書いた文章を声に出して読むことは、自分ならではのリズムに言葉を乗せることだ。あなたの文章の持つリズムこそ、あなたの個性である。だから、何度でも強調したい、自分の書いた文章は声に出して読もう、と。
○そして、推敲の労を惜しまない。『毎日新聞』の名物記者だった内藤国夫の、
「(自分が)書きやすいものは、(読者には)読みづらい。ラクして書いたものは、読むのに苦労する。反対に苦労して書くと、読む方は、読みやすい」(『私ならこう書く』、括弧は筆者)
 という指摘は、まさに正鵠を射ている。(中略)推敲のさなかに「もうこの辺でいいだろう」と中途半端なところで妥協してはいけない。自分がすっかり納得できるまで、書き直しをすることが、文章上達の秘訣である。〉
(野村進著『調べる技術・書く技術』講談社現代新書)

 ちなみに、上に挙げた理由から繰り返し読んでいるために私の手元にある『調べる―』は、本に巻かれている帯は黄ばんでボロボロ、本そのものにも手あかがついておりとてもきれいとは言えない。それほど何度も何度も読み返していると、記事冒頭で紹介した通り大学教授でもある野村氏から直接文章作法などを学ぶことのできる学生たちが堪らなくうらやましくなる。そう、マスコミ志望の学生にとっては、一流のジャーナリストから一足早く記者研修を受けられるのだから――。とは言え、学生でない以上はうらやんでも仕方のないことだと言われればまさしくその通りである。だが、それほど取材をしたり原稿をまとめたりする上で必要な知識を本を通じて教えてくれた大先輩、『調べる―』との出会いが私にとって大きかった。そのことを少しでも伝えられたのであれば、それを心から嬉しく思う。