1月1日、2010年という新たな年を迎えた。そこでいま最も注目しているのは、昨年12月の政治資金問題に関する釈明会見のなかで、ある重要な発言を口にした鳩山由紀夫首相の言動である。鳩山首相からその発言を引き出した記者は、インターネット新聞『JanJan』市民記者でジャーナリストの田中龍作氏。「総理が奇麗な言葉を並べても、またうそをついているとしか世の中は取らない」と指摘し、その言葉の軽さについて見解を尋ねた田中氏に対して、「軽いと言われれば、反省しなければならない」としたうえで鳩山首相は次のように続けている。産経新聞のネット版に掲載された詳報記事から、この鳩山発言の一部を引いてみたい。

 〈それから、記者クラブというか、この記者会見の開放に関しては、来年からもっと開放されるようにと申し伝えているところであります。本来ならば100日前に行わなければならないことでありましたが、なかなか諸事情、スペースの問題も含めて、すぐにできないことは申し訳なく思っていますが、どうせ信じていただけないかもしれませんが、そのことに関しては私の決意は変わっておりません〉(「【鳩山会見詳報】(6)『責任はないと思っていない』(24日夕)」『MSN産経ニュース』2009年12月24日付)

 私の知る限りでは、「官邸記者会見のオープン化」の公約未達成について、これまで鳩山首相が公の場で言及することはなかった。それは、ビデオジャーナリストの神保哲生氏が指摘しているように、「(引用者注、釈明会見が行われた)今日まで官邸の記者クラブに加盟する記者以外が鳩山さんに直接質問をぶつける機会がなかった」(神保哲生氏のツイッターより)からである。今回の記者会見は、記者クラブでなく鳩山氏一議員主催の会見だったため、フリーランスやネットメディアなどの記者が参加し、その場で質問できたわけだ。先に紹介したように、「官邸記者会見のオープン化」がいまだ果たされぬことを質した田中氏には、よくぞ質問してくれたと言って拍手を送りたい。

 その一方で、「三度目の正直」の心境で発したであろう今回の鳩山発言には、これを懐疑的に捉える見方が少なくない。例えば、ネットメディアのひとつである『J-CASTニュース』は、「政権発足100日という節目の日に『再出発』を誓った鳩山首相だが、今日の言葉は信じることができるだろうか」(「『やめろ』の声強まれば辞任 秘書起訴の鳩山首相会見」2009年12月24日付)と書いて記事を締め括っている。それと言うのも、鳩山首相の言う100日前に氏の過去の発言を信用し、まんまとしてやられた記憶が離れないからであろう。これについては、鳩山首相の過去の発言を取り上げた「大メディアが黙殺した鳩山首相初会見の真実」で詳述している。

 こうして鳩山首相初会見に参加できなかった苦い経験を知ってか知らずか、鳩山首相は少し笑いながら「どうせ信じていただけないかもしれませんが(以下略)」と記者団に語っている。これらの発言は、「ビデオニュース・ドットコム」が配信する無料動画などでご確認いただきたい。ただ先の発言が信じられるか信じられないかは関係なく、「民主党が政権を取れば、記者会見を開放する」との言葉を裏切らぬ責任があることには違いない。一国の宰相であり、与党民主党の代表でもある鳩山氏は、過去の言葉を軽んずれば必ずその石につまずくことになる。今年は、実際に氏が首相として有言実行するのかどうか、事の成り行きを注視していくつもりだ。

 2010年の元旦、この原稿を書きながら私は改めて思う。鳩山首相よ、きのうの日のあの言葉を軽んじるなかれ、と。だがジャーナリストの上杉隆氏は、この言葉よりもさらに手厳しく首相を批判している。この記事では、最後に私が共感を抱いた氏の言葉を紹介し、ここで一旦筆を擱きたいと思う。『ダイヤモンド・オンライン』に連載中の「週刊・上杉隆」のなかで氏はこう語っている。「(引用者注、昨年)5月16日、鳩山首相は筆者の質問に対して記者会見のオープン化を約束した。公式の記者会見で発せられた言葉は、国民への公約にもなる。/国民との約束を蔑ろにする首相は、事実を隠蔽し続けてきた元首相と少しも変わらない」(1月1日記)

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鳩山首相、記者クラブ問題でも“泣き”
http://janjan.voicejapan.org/government/0912/0912254753/1.php

(「鳩山首相よ、きのうの日の言葉を軽んじることなかれ」『JanJan』2010年1月6日付より)