大泉千路のブログジャーナル

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2012年 新年のご挨拶

 明けましておめでとうございます。さて早速ですが、東日本を中心に地震と津波、原発災害が起こった昨年、その年末に繰り返し聞かれたなかで印象深く残っている言葉があります。それはまず「故郷」(ふるさと)、そして次に「忘年ではない、越年。全ての課題が歳を越して持ち越される」(岩上安身氏のツイッターより)です。前者は言わずと知れた大みそか恒例の「第62回 NHK紅白歌合戦」のなかで披露された楽曲のタイトルや歌詞、後者はネット上で配信された年末年始特番「新生IWJぴよぴよ!『ウラ番組をぶっ飛ばせ!IWJが見た!伝えた!激動の2011年』」でのジャーナリスト岩上安身氏の言葉です。同じく年末に聞かれたこれらの言葉は記事冒頭に述べた諸課題、それを抱える被災地を意識してのものと理解しています。激動と言うべき1年であった昨年ほど、人々にとっての「故郷」(ふるさと)、それに関連して先述の岩上氏が言う「歳を越して持ち越される」諸課題を意識した年越しはありません。被災地が抱える問題はもちろんのことですが、わが郷里山梨の地方都市にある中心商店街の空洞化といった問題の取材、その記事化を通して、先に紹介した人々にとっての「故郷」、「歳を越して持ち越される」問題とは一体何か、自らにできうる範囲でそれらの意味を突きつめて考えていく所存です。『大泉千路のブログジャーナル』を本年もご愛読下さいますよう、どうぞよろしくお願い致します。末筆ながら、読者の皆さまにとって本年がよりよい年となりますよう心よりお祈り申し上げます。

   平成24(2012)年 新春
大泉 千路

竹中労没後20年目の年に竹中英太郎記念館を訪ねて

 〈歴史を振り返れば、西暦の末尾が「1」の年は、時代の大きな転換点となる出来事が多い。1931年は羽田空港が開港、41年には太平洋戦争が開戦した。さらに71年には日本人の食生活に大きな変化をもたらしたマクドナルドが日本に進出している▼21世紀の幕が開けた2001年。「聖域なき構造改革」を掲げた小泉純一郎首相が誕生した。「自民党をぶっ壊す」と叫び、旧弊に風穴をあけたのは記憶に新しい▼(引用者注、今年1月の山梨県知事選や甲府市長選で「伊達直人」と書かれた票が投じられた)今回、有権者の一部が“待望”したタイガーマスクが、覆面レスラーとしてリングに登場したのも「1」がつく1981年。〉(『山梨日日新聞』2011年2月4日付朝刊)

 上に引いた文章は、2月4日付の『山梨日日新聞』に掲載されたコラム記事の一部である。コラム記事の筆者の指摘には同感であり、かくいう私もこの文章を興味深く読んだ読者のひとりである。ただ、これにひとつつけ加えられるならば、「ケンカの竹中」「反骨のルポライター」として知られる竹中労(以下、労と記述)がこの世を去った1991年を迷わず挙げたい。勘の鋭いブログ読者の方ならば、ここまでの文章ですでにお気づきかも知れない。そう、あれから長い歳月を経て今年2011年は没後20年という節目の年、そして今日5月19日は労の命日にあたるわけである。

 記事のタイトルを目にした読者のなかには、何故労節目の年に「竹中英太郎記念館を訪ねて」なのかと訝しがる方がいるかも知れない。そうした読者のために説明すると、実は記念館の名に冠されている挿絵画家の竹中英太郎(以下、英太郎と記述)が労の父親なのである。ちくま文庫から刊行された労の著作にも「父親は画家の竹中英太郎」と記されているが、意外にも労ファンですらその事実を知る人は少ない。生前の労の遺言によって英太郎の挿絵を相続した妹の金子紫氏(以下、紫館長と記述)が2004年4月に「湯村の杜 竹中英太郎記念館」を開館した。現在は、同館の館長として後述する金子望主宰(以下、望主宰と記述)とともに管理運営に努めている。

 ただ、このように言っている私も評論家鈴木邦男氏のブログを訪れる今年はじめまで、英太郎記念館の存在すら知らなかったひとりである。鈴木氏のブログ記事のなかに同館を紹介する次のような一文が記されている。「甲府に、『竹中英太郎記念館』があります。竹中労さんの資料もあります。私は編集者と共に取材に訪れました。館長は金子紫さんです。竹中労さんの妹さんです。とてもお洒落な記念館でした」。これに加えて氏はこうも言っている。「労さんの話をたっぷりと聞かせてもらいました。(中略)すっかりご馳走になってしまいました。おいしかったです」(「全身ジャーナリスト・田原総一朗さんの激闘50年」『鈴木邦男をぶっとばせ!』2010年12月27日付)と。

 これほどまでに鈴木氏に高く評価される記念館であれば、好奇心がむくむくと頭をもたげて足を運んでみたくなる。ましてや今年は竹中労没後20年である、氏の言葉を借りて言えば「じゃ、行ってみなくっちゃ。そして、労さんのことも、もっと教えてもらわなくちゃ」(「竹中労と『中洲通信』の奇跡」『鈴木邦男をぶっとばせ!』2010年10月18日付)というわけである。かくして今年も2月に入ったころ、紫館長と訪問の予定日時をメールでやり取りしたのち英太郎記念館を訪ねた。記念館に一歩足を踏み入れると、そこには晩年の英太郎が労の依頼で書き下ろした装画、推理作家江戸川乱歩らの作品に用いられた挿絵の原画などが暖かくも落ち着いた照明に照らされていた。

 英太郎記念館の館内に入って入館料を支払うと、慣れた口調で望主宰からまず記念館についての短い説明があった。その後タイミングを見計らって質問メモを取り出し、「質問を用意してきたのですがよろしいでしょうか」と訊ねる。すると即座に「どうぞ、何でも聞いて下さい」と快諾、にこやかな笑顔も見せてくださった。ただ、望主宰は次の予定が入っていると聞き、主宰が実行委員長を務めていた「山梨文学シネマアワード2011」(今年2月に甲府・湯村温泉郷にて開催)について単刀直入に質問を切り出した。この映画イベントの開催直前に望主宰が実行委員長を退任し、甲府事務局であった記念館は一協賛社としての協力に留めるとの発表がなされていたためである。

 これらについて発表する館長ブログにはその理由が詳しく書かれておらず、それゆえに正直言って突然の方針転換の真意を測りかねる部分があった。そうした理由から今回の取材の機会に直接疑問をぶつけたのだが、これに対して望主宰は真剣な表情で映画イベントの内情について実に詳しく語ってくださった。そのなかで、これは内密にして欲しいとクギを刺されることもほとんどなかったと言って良い。それにも関わらず発言内容の紹介を避けるのは、改めて取材ノートを読み直して一市民記者に過ぎぬ私の手には到底負えないと怖気づいたためである。限られた時間のなかで質問に真剣に答えてくださった望主宰に、この場を借りて自らの力不足を深くお詫びしたい。

 事前に用意した質問を一通り終えると、「これを書かせたら誰にも負けないというテーマ(政治や芸能、映画など)、書き手としての強みを作ること」とのアドバイスをいただいた。上から目線という誤解を恐れずに言えば、さすが元電通マン、マーケティングのプロが語る言葉には説得力があると感じさせられた。以前に読んだジャーナリスト日垣隆氏の『ラクをしないと成果は出ない』(だいわ文庫)のなかに「さらりと言われたアドバイスは、説教より身にしみる」という言葉があるが、今回のアドバイスはまさにそれを体感する経験であった。日垣氏の言葉を借りて言えば望主宰の「さらりと言われたアドバイス」に感謝しつつ、先に紹介したアドバイスを実践に移していきたいと思う。

 次の予定が入っている望主宰が出て行かれるのを見送ると、事前に用意した質問の続きを紫館長にお答えいただいた。「記念館の事、知事選の事、そしてなによりも労さんの事について沢山の質問がありました」(「礼儀正しい青年・・・・・・・」『竹中英太郎記念館 館長日記』2011年2月7日付)と館長ブログに書かれている通り、今回の取材では主に「家族から見た竹中労」についてその妹である紫館長にお話をうかがった。特に興味深かったのはこれまでに聞いたことのない竹中英太郎一家の話、なかでも父英太郎と息子労の一風変わった親子関係である。血は水よりも濃いとはよく言われる例えであるが、今回の取材ほどそれを強く思い知らされたことはない。

 それほど衝撃を受けた証言の一部を紹介すると、「私は父に怒られたことはないが、労さんには特別厳しかった。それは(労さんが)男の子だったからではないか」と紫館長。事実、館内に置かれていた漫画家グレゴリ青山氏の『ブンブン堂のグレちゃん』(イースト・プレス)には、「親父が息子を(階段から)突き落とした」と紫館長の証言を物語るエピソードが紹介されている。傍から見れば実に変わった親子関係であるが、特に自らに厳しい父英太郎を息子労はどのように見ていたのか。それについて、「父親を100パーセント崇拝していた。だからすごい親子関係ですよね」と紫館長は言う。ちなみに、そうした労の息子からは「(竹中労を父として)尊敬している」との言葉を聞いたことがある、とも。こうした話を聞きながら、血は水よりも濃いがその血もまた脈々と受け継がれている、と感じるのであった。

 この他にも、竹中労没後20年の今年は記念館で労の企画展ができれば、また記念館を訪れる熱心な労ファンの若者から伝記を書きたいという話があると教えてくださった。労没後20年の企画関連で言うと、フリーペーパー『桜座スクエア』2月号のなかで同誌編集人の高野豊氏が「今年は、竹中労没後20周年。企画を思案中。関心のある方は、本誌まで」(『桜座スクエア』2011年2月号)と述べている。これらの企画はまだ思案中とのことだが、その他にもすでに進行している企画がある。例えば、今回の取材のなかで労ファン著名人の寄稿をまとめた一冊が河出書房新社から刊行予定だと聞いたが、先月には先述の鈴木氏や紫館長のブログでも正式に公表されている。

 こうして何時間にもわたる取材のなかで、拙いインタビュアーに対して実に親切かつ誠実に紫館長は答えてくださった。それも何処の馬の骨とも知れない男にである、それゆえに取材中は終始一取材者としての僥倖を強く感じていた。そして何よりも記念館に入ってからその場を辞すまで、徹底した細やかな気遣いに心からの感動を覚えた。例えば、館内に入って勧められた椅子に腰かけると温かいコーヒーでのもてなし、その後矢継ぎ早に質問を続けているとコーヒー冷めてしまいましたねと言って淹れ直してくださった。そうしたことから、記事の冒頭で紹介した「すっかりご馳走になってしまいました。おいしかったです」という鈴木邦男氏の言葉はその通りだと強く納得した。

 大変ありがたい気遣いという意味で言えば、館長ブログに掲載された記事中の一文もそのうちのひとつである。今回の取材後すぐに掲載されたブログ記事のなかで、筆者の印象について次のように書いてくださった。「編集・執筆活動をされていらっしゃる大泉様、まだ20歳という若さで、こんなに礼儀正しい青年は、はじめてかも知れません。/とても素敵な時間を持てました」(前出「礼儀正しい青年・・・・・・・」)と。取材を終えて自宅でメールを送ろうとするとすでにお礼のメールが届いていたこともそうだが、このブログ記事での最大の賛辞には一取材者として非常に感激させられた。最後の最後まで相手への心配りを忘れない、紫館長はまさに「気遣いの人」なのであった。

 ただその一方で、実際のところ自虐的ではなく実に課題の残る取材であった。例えば、取材前の資料読みなど事前準備の不十分さや自らの語彙の乏しさなどもあって、相手から返ってきた言葉に対して「そうですか、分かりました」という一言を繰り返していた。また、先述のブログ記事によると、実は取材当日紫館長はのどを痛められていたのだという。のどの痛みひとつ見せず気丈に質問1つひとつ答えてくださったが、体調の不調を感じ取れなかったのは自らの観察眼が足りなかったことに尽きる。インタビューの経験が少ないという言い訳に甘えず、今回の失敗を今後の取材活動に活かしていきたいと思う。取材当日のどを痛めるなかで親切に対応していただいた紫館長、お忙しいなかにできる限り質問に答えてくださった望主宰にこの場を借りて深く御礼申し上げたい。

 あとがき
 記事の冒頭で述べた通り、今日5月19日は竹中労没後20年目の命日である。そうしたタイミングに合わせて記事を掲載したと言えば聞こえは良いが、実際のところ取材から原稿完成までに約3ヶ月もかかってしまったというのが本音である。それは記事の書き出しに呻吟することにはじまり、数行書いてはまた書き直すという繰り返しであったが、ようやく原稿を書き上げて今こうしてあとがきをパソコンに向かって書いている。このあとがきを書き終えたならば、きょうの晩にちょうど手元にある竹中労の『決定版 ルポライター事始』(ちくま文庫)に目を通したいと考えている。それは、端的に言うと作家五木寛之氏の言葉に影響されているところが大きい。五木氏は自らの著書『人間の覚悟』(新潮新書)のなかで、亡くなった作家の偲び方について次のように述べている。「作家が死んだ場合は、その人の本をその晩、1冊読むということを慣例にしています。私自身は、葬儀場で手を合わせられるより、そのほうが作家にとってありがたいことだと思うからです」と。労の場合は鬼籍に入ってからすでに20年経っているが、葬儀場を墓所という言葉に置き換えて考えてみるとそのほうが喜ぶのかも、というのは個人的な感想である。こうした理由から、今日という日に労の著書1冊を読んで偲ぶ、静かに思いを馳せる機会としたいと思っている。ここまで読んでくださったブログ読者の皆さんも、今日の晩にお手元や近くの図書館にある労の著書を1冊読んでみませんか――。

   ルポライター竹中労没後20年目の命日に

筆者記す


【湯村の杜 竹中英太郎記念館】
 ・所在地:〒400-0073 山梨県甲府市湯村3-9-1
 ・アクセス:JR甲府駅南口から山梨交通バス利用で約15分(湯村温泉方面)
 ・入館料:大人300円(高校生以上)、小人200円(小・中学生)
 ・開館時間:午前10時から午後4時まで
 ・休館日:火曜日、水曜日(臨時休館あり)
 ・電話番号:055-252-5560
 ・ホームページ:http://takenaka-kinenkan.jp/

(「竹中労没後20年目の年に竹中英太郎記念館を訪ねて」『JanJanBlog』2011年5月19日付より)

被災地へのメッセージ―再掲・ルポ記事あとがきより

共通テーマ:
被災者の方々へメッセージを! テーマに参加中!
 〈今回、自宅のパソコンに向かってレポート記事を推敲しているところに、現在大きな被害をもたらしている東日本大地震が起こった。財産を失い住居を失い家族をも失う――今回の地震で被災された方々に突きつけられた過酷な現実に対し、それを報じるテレビのニュース番組を観るしかできぬ自らの無力さを感じている。現在は少額ながら義援金を送金することしかできないが、今自らにできることは一体何かと深く考えてならない。なお、先述した義援金の送金に関しては、今月13日付の『JanJanBlog』に掲載された「東北地方太平洋沖地震 救援ネット募金一覧」や糸井重里氏主宰の『ほぼ日刊イトイ新聞』に掲載されている「東日本大地震のこと。」を参考にご協力いただければと思う。末筆ながら、現在大変な避難所生活を強いられている被災者の皆さまへのお見舞い、今回の地震で亡くなられた犠牲者の方々のご冥福をお祈り申し上げたい。東日本大地震で被災された方々や被災地が1日も早く現状回復、復旧復興を遂げられますように――。

平成23年3月 筆者記す〉


 追記
 この度の東日本大地震により寒さ厳しき避難所や支援物資の少ない自宅での生活を強いられている被災者の皆さまに改めてお見舞い申し上げます。それとともに、今回の大地震にて犠牲となられた方々とご家族の皆さまに対しまして深くお悔やみを申し上げます。被災された皆さまとその被災地が一刻も早く「復活」できますよう心からお祈りしております。大泉千路拝(平成23年3月28日追記)

「作家椎名誠×ジャーナリスト日垣隆公開対談」現場報告

 今月5日、ジャーナリスト日垣隆氏の有料メールマガジン『ガッキィファイター』を主催に、東京都新宿区にある全国身体障害者総合福祉センター(戸山サンライズ)にて公開対談「冒険、人生、家族、親子、継続の秘儀」が開催された。対談のゲストは、作家でエッセイストでもある椎名誠氏。あえて記事冒頭に告白すると、私は必ずしも椎名氏の著書の熱心な読者ではない。ただ日垣氏の著書はいくつか読んでおり、メルマガ読者イベントの講義録がもとになった新書を読んで一度参加してみたいと思っていた。そうしたところ、ある日ツイッターのタイムライン上に次のようなつぶやきが流れてきた。

 〈何でも公開対話!【作家の椎名誠さん×日垣隆】 「冒険、旅、大人の遊び、子離れ、夫婦、文筆、継続、仕事…」。今から8時間以内なら破格にてご参加できます。8時間後から定価に。会場にて、ご希望者全員に椎名さんのサイン本も。〉(日垣隆氏のツイッターより

 上に引いた公開対談のテーマ項目いずれも気になる内容であり、希望者全員に椎名氏がもれなくサインという言わばイベント参加特典にも惹かれるものがあった。こうした理由から、今回の対談イベントは有料ながら氏の公式サイトを通じてすぐに参加を申し込んだ。ちなみに、参加費は一般参加者で3500円、メルマガ読者は2100円である。その参加費のモトが取れたかどうかは後述に回すこととしよう。その後自動返信で申込確認のメール、同日夜には会場を知らせる「当日のご案内」メールが届いた。参加申込後の素早い対応には、実に関心させられるものがあった。

 公開対談当日の朝、記録用の大学ノートや筆記具、会場までの地図や時刻表などをカバンにつめ込み、いざ山梨から電車に乗って大都会東京へ。対談会場に向かう前、東京・八幡山にある大宅壮一文庫に立ち寄ったためまさか遅刻しないかと焦ったが、ポータルサイト『goo』で事前に印刷した時刻表が役に立ってなんとか遅刻することなく会場までたどり着けた。まさに、インターネットの路線検索様さまである。早速、ガラス張りの自動ドアを抜けてあたりをきょろきょろと見渡すと、ロビー入口の脇に案内板が置かれており公開対談の会場は2階の大研修室と書かれている。

 早く2階へと向かうべく近くのエレベーターに乗ろうかとも思ったが、それを待っている時間がもったいないと急に思いはじめた。そのため、エレベーターよりもさらに奥の階段マークのある方向に向かい、階段を上ろうとすると上から下りてくるスーツ姿の男性の足が見えた。思わず少し頭を下げて(これはいつの頃からか誰にでも反射的に)すれ違いざまにその男性の横顔をちらりと見ると、偶然にも先述した日垣隆氏その人であった。「あっ、日垣さんだ…」と柄にもなくミーハーな言葉を思わず口走りそうになるも、その言葉を飲み込み階段を上って2階へと到着する。

 その先にある長い廊下を突き進んでいくと、「椎名誠さん×日垣隆 公開対話『冒険、人生、家族、親子、継続の秘儀』」と書かれた看板の脇に長机が置かれており、そのうしろに男性と女性のスタッフが1人ずつ立っているのが見えた。2人のスタッフは、目先にあるエレベーターから下りてきた参加者の応対に忙殺されている。私が受付に向かうと、スタッフから「こんにちは」と言葉をかけられた。私も反射的に「こんにちは」と言ってから名前を名乗ると、「(長机の上にきれいに並べられた)名札は五十音順に並べていますので、ご自分の名札を取って先にお進みください」と男性スタッフ。対談開始15分前にまだ結構な数の名札が並べられていたが、中央に参加者の名字が大書きで印字され、その右下に氏名が添えられた名札ゆえにすぐに自らの名札を見つけられた。

 その後、男性スタッフから質問用紙を受け取ってから会場の大研修室のなかへと進んだ。終始扉が開け放たれたままの大研修室のなかに入るとすぐ目の前に長机があり、その机には日垣氏のサイン入り著書、椎名氏の著書がずらりと並べられている。日垣氏の著書は日頃公式サイト直販や近くの書店にて購入しているため、少し申し訳なく思いつつもざっと見てからすぐに通り過ぎた。その奥に続く椎名氏の著書コーナーには、学校教科書で取り上げられた『岳物語』などが恐らく並んでいると思っていたが、実際氏の著書コーナーを見てみるとやはり私の予想通りであった。

 だが、その一方でエッセイストとしての椎名氏のデビュー作で読者に強烈なインパクトをもたらした『さらば国分寺書店のオババ』(新潮文庫)や様々な経緯から長い月日を経て文庫化された『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』(角川文庫)が置かれていなかったことは実に意外に感じられた。もしかしたら私が氏の著書コーナーを眺める前、いずれも人気のある作品ゆえに売れ切れてしまったのかもしれない。その他には、文春文庫から刊行されている「風まかせ赤マント」シリーズ、公開対談の参加申込後に主催者から届いたメールによれば「100冊ほど仕入れました」という『トンカチからの伝言』(文藝春秋)などが山積みになって置かれていた。

 ちなみに、日垣氏のツイッターによると椎名氏のサイン会のために著書を20種類、合計約450冊を版元や書店から買い取ったという(日垣隆氏のツイッターより)。そうした無謀(?)とも思える氏の自腹買い取りにわずかでも貢献しようと(実際は一度読んでみたいと思うお目当ての本があったからなのだが)、『すすれ!麺の甲子園』(620円税込・新潮文庫)と先に紹介した『トンカチからの伝言』(1500円税込)の計2冊を購入。会計の際にいくらか割引になっていたのだろうか、財布から千円札を2枚取り出してスタッフに渡すと100円のおつりが返ってきた。

 購入したそれらの本を手に、会場のなかをきょろきょろしながら空席を探し始める。戸山サンライズの公式サイトによると大研修室の定員は240人とのことであったが、当日はほとんど満員で座る余地がないほどであった。後方にある空席になんとか座ることができ、余裕を持って会場に到着した安堵からふうっとひと息ついた。それから記録用に大学ノートや筆記具などを取り出していると、前方にあるマイクを通じて司会者から会場内にお知らせが流れた。それによると、対談のゲストである椎名氏が会場に向かう途中デモに巻き込まれて会場への到着が遅れている、しばしお待ちくださいとのこと。この司会者の言葉を聞いて眼鏡を拭きながらのんびりと待っていると、定刻過ぎに椎名・日垣両氏がようやく会場に姿を見せ、そのまま講演台へと登壇した。

 まず、インタビュアーである日垣氏の印象について、ここに記しておきたい。今回の公開対談に参加した『「一般人、何でも見て聞いて飛び込んでやろうじゃないか」遅れてやってきた反抗期ブログ』のブロガーくぬぎ徹也氏は、ツイッター上で日垣氏の声や喋り方について「日垣さん、twからもっとエキセントリックな声を想像してたけど、声も喋り方も普通の穏やかなおじさんの声だ」(くぬぎ徹也氏のツイッターより)と語っているが、私もくぬぎ氏とまったく同じ意見を持った。氏の一連のつぶやきを読んで勝手に抱いていた怖いイメージとは違い、あくまで私の第一印象であるが穏やかな口調の紳士であるように見受けられた。そうした紳士的な話し言葉と著書などでの過激な書き言葉というギャップがまた人々を惹きつけているのかもしれない。

 次に、今回の対談ゲストである椎名氏の第一印象についてである。氏に対しては好々爺然とした風貌で良い意味の笑顔が似合う普通のおじさんという印象を抱いた。ただのおじさんと若者に呼ばれているというリビアのカダフィ大佐の百倍格好良い「おじさん」であることは言わずもがなである。以前、椎名氏が警備員によくホームレスに間違えられるという話を聞いたことがあるが、実際に氏の姿を目にするとそれも少し分かるような気がした。ただし、それは脳科学者の茂木健一郎氏が紹介する「かしこいホームレス」(「椎名のアニキ、有吉が、ホームレスだって言ってやがりますぜ!」『茂木健一郎 クオリア日記』2010年6月16日付)に見られるような好意的な見方である。

 それでは、記事の本題でもある公開対談の内容を一部ご紹介しよう。まず結論から言えば、対談ゲスト椎名氏の豊富な旅知識や読書経験に裏打ちされた話は実に面白かった。対談慣れしている氏の巧みな話術に椎名ワールドのなかへと引き込まれてゆく。事実、少なくとも私の見た限りでは参加者の多くがメモを取らず、自然と前のめりになって氏の一言一句に聞き入っていた。個人的には、会話のなかで妙齢という言葉を繰り返す椎名氏に「何歳からが妙齢なんですか」と訊ねた日垣氏への返答が面白く、これには大いに笑わせてもらった。今回の公開対談のなかで、椎名氏は妙齢の定義について次のように語っている。「僕より年下だったらみんな妙齢ですよ」と。

 もちろん、椎名氏が語ったのは何もこうしたおもしろ話ばかりではない。どういった話を興味深く感じたかはまた参加者それぞれであろうが、私の場合はやはり「読み書き」すなわち当代屈指の文章家が語る文章論が参考になった。思わず手元にあった質問用紙の裏や記録用の大学ノートにそれらの発言を走り書きしたほどである。ここでは、それら走り書きの対談記録を参考にしつつ、筆者文責のもとで氏の発言をいくつか再現してみたい。私が日垣氏の公式メルマガ編集室の回し者ではないことを記した上で、以下の一部抜粋を通じて氏の発言に関心を持たれた方には今後日垣氏の公式サイトにて販売予定というオリジナル電子ブックのご一読をお勧めしたい。

    公開対談における椎名氏発言(一部抜粋)

    「(氏との対談集もある漫画家でエッセイストの)東海林さだおさんに『エッセイを書くこと、何でもそうだけれどいつまでもホームランバッターではいられない。打率3割台を目指せば良い』と言ってもらってからは楽になれた」
    「ホントのこととウソのことをないまぜにして書くのが小説だと思ってるからね」
    「やっぱり物書きはね、不眠症が多いですよ」(ちなみに、かく語りき氏自身にもその経験があるという。直接的な文章論ではないが、職業作家として生きる苦労を教えてくれる言葉である)
    「物書くのは読書の蓄積みたいなのがあるじゃないですか。本読まないのが文章書けない」(もちろん本を読まずに小説を書く作家もいるが、これは超のつく本読みの作家である氏の至言だという風に感じられた)

 以上が文章を書くということ、いわゆる文章論に関する氏の発言である。その他にも、「嫌なやつは酒場で15分くらい話すとすぐに分かる。その直感はだいたい当たる」「(人間関係は知人の数を増やすよりも)深度を深めるほうが良いなあって」といった言葉も印象に強く残っている。これらの言葉を事もなげに披露する椎名氏の豊富な知識や経験はもちろん、氏から興味深い話を引き出すインタビュアーとしての日垣氏の力量には心から尊敬の念を抱いた(ただし、ツイッター上での氏の言動には同じツイッターユーザーとしていささかの違和感を感じてもいる)。

 こうして数時間にもわたった公開対談は、椎名氏に対して日垣氏が発した「20年後もお元気でいて下さい。どうもありがとうございました」という言葉で締めくくられた。日垣氏の公式サイトに掲載されているメルマガ目次「第371号(3月3日)」のなかにも、次のような一文がある。「(引用者注、公開対談の)前回は28年前。次は28年後に開催!」と。椎名・日垣両氏の現在の年齢を考えると、現実にはあり得ない話なのかもしれない。だが、20数年後歯に衣着せぬ物言いの元気老人となった両氏の対談をぜひ聞いてみたい、と今回の公開対談を聴講してそう強く思った。

 公開対談終了後、先ほどまで対談が行われていた壇上で椎名氏のサイン会が始まった。机上にある資料類やノートを片づけながら脇の通路を見ると、すでに壇上から私の座っている後方までサインを求める参加者で長蛇の列ができていた。列に並ぶ参加者の多くが橙と緑2色のカバーが巻かれた先述の『トンカチからの伝言』を手にしている。これは余談であるが、『トンカチからの伝言』は椎名氏が日垣氏の著書について触れたエッセイが所収されている。それもあってだろうか、先に紹介した通り今回のサイン会のために大量に仕入れ、事前に参加者に送ったメールでも「ぜひこの機会にお求めください。サインもしていただけます」と会場での購入を勧めていた。

 さて少し話が逸れたが、椎名氏のサイン会に話を戻すことにしよう。カバンにノートなどの持ち物をつめ込んでから事前に購入した氏の著書を持って私も列に並んだ。10分ほど並んでいると、壇上でサインを求める参加者の数人前のところまで来た。私のひとつ前に並んでいるカップルの順番になると、黙々と氏がサインをしているところで彼女が彼氏に向かって笑顔でピースサインをし、壇の下にいる彼氏はそんな彼女をさも嬉しそうに携帯電話のカメラで撮影している。恐らく無断であろうこの記念撮影そのものが良いかどうかは分からないが、笑顔でピースサインをする彼女、それを嬉しそうにカメラで撮影する彼氏という2人の姿は今でも忘れることができない。彼女の次に彼氏が恐縮しつつサインをしてもらうと、ようやく私のところまでサイン会の順番が回ってきた。

 壇上に上って椎名氏に「失礼します…お願いします」と言ってから本を手渡し、サインを求める他の参加者がそうしていたように自らの名札を氏に見えるよう机上に置いた。その名札を見てサッサッとフルネームの為書きに自らの署名を入れている。氏が集中してサインを記しているあいだ、滅多に感じることのない緊張からじっと下を向いてサインが終わるのを待った。すべての著書にサインを終えると氏は何か一言言葉を発したが(また私が購入した本を受け取る時も)、緊張していたためにどうしてもその言葉を思い出すことができない。「ありがとうございました」という言葉を何とか振りしぼって言うと深く一礼し、サイン本と自らの名札を持って壇を下りる。すると、それまで氏のサイン中に終始張りつめていた緊張の糸がぷつんと切れるのが感じられた。

 椎名氏から受け取ったサイン本を大切にカバンのなかへと入れ、出入口に並べられている日垣氏の著書を一通り眺めてから会場を出る。あまり表に出すことのない私のド緊張もそうだが、サインを求める参加者の長い列へ並んだ際に見た、サイン本を受け取って興奮ぎみに「ありがとうございました」とお礼を言う若い青年(かく言う私もそうした若者のひとりであった)、氏のサイン中に幸せそうな顔をしている先述のカップルの姿に、長きにわたりトップを走りながら熱烈なファンを持ち続けている作家椎名誠の凄さをひしひしと感じた。また、椎名・日垣両氏の公開対談に耳を傾け、こうして対談終了後椎名氏にサインをお願いできた(プラス今回の現場報告を稚拙ながら一応形にできた)だけで今回参加するためにかかったお金と時間のモトは十分に取れたとも――。

 とは実際に思うのだが、私にはまだ密かに楽しみとしていることがある。それは、今回の公開対談の文字化、それらイベント記録のサイト販売である。今回記事掲載の許諾を得るため主催者に送ったメールのなかでその可能性について訊ねたところ、後日、イベント記録としてはすでに完成しており、メルマガ読者への配信や非メルマガ読者向けの電子ブック化の予定で作業を進めているという回答が寄せられた。数時間にもわたる公開対談がどのように文章でまとめられるのか、参加者のひとりとしては非常に興味のあるところである。実際に公開対談が電子ブック化されることに期待しつつ、手元にある椎名・日垣両氏の未読本を読みながら気長に待つとしたい。


 今回の記事は、ミニブログ『Twitter』にて【椎名×日垣対談現場報告】と題しつぶやいた連続ツイートをもとに、大幅な加筆訂正を加えて成ったものである。今回のレポート記事のもととなった連続ツイートの手法は、ツイッター上にて数々のテーマで連続ツイートを続けている先述の茂木健一郎氏に感化されてということもあるが、最も大きな理由は書き下ろし(ここではあくまで便宜上この言葉を用いる)という形で原稿を完成、発表するよりも、文字数制限があるなかでつぶやいた連続ツイートに加筆訂正して公開したほうが分かりやすい形で早く公開対談の様子を伝えられるのでは、と考えたためである。私の考えた通りに「分かりやすい形で早く公開対談の様子を伝えられ」たかについては、今回のレポート記事を読まれた読者の評価を待ちたいと思う。なお、前述したツイッター上での【椎名×日垣対談現場報告】(今月8日〜同月10日付)には、『Twilog』にて開設した個人ページである「大泉千路(@oizumichiji)」でアクセスできることをここに付記しておきたい。

 また今回、自宅のパソコンに向かってレポート記事を推敲しているところに、現在大きな被害をもたらしている東日本大地震が起こった。財産を失い住居を失い家族をも失う――今回の地震で被災された方々に突きつけられた過酷な現実に対し、それを報じるテレビのニュース番組を観るしかできぬ自らの無力さを感じている。現在は少額ながら義援金を送金することしかできないが、今自らにできることは一体何かと深く考えてならない。なお、先述した義援金の送金に関しては、今月13日付の『JanJanBlog』に掲載された「東北地方太平洋沖地震 救援ネット募金一覧」や糸井重里氏主宰の『ほぼ日刊イトイ新聞』に掲載されている「東日本大地震のこと。」を参考にご協力いただければと思う。末筆ながら、現在大変な避難所生活を強いられている被災者の皆さまへのお見舞い、今回の地震で亡くなられた犠牲者の方々のご冥福をお祈り申し上げたい。東日本大地震で被災された方々や被災地が1日も早く現状回復、復旧復興を遂げられますように――。

平成23年3月 筆者記す

(「『作家椎名誠×ジャーナリスト日垣隆公開対談』現場報告」『JanJanBlog』2011年3月17日付より)

大切なことはすべて君が教えてくれた


 私が利用しているライブドアブログで、ある共通テーマ(いわゆるブログネタ)での投稿募集がはじまった。そのテーマは、「あなたが『研修』時代に出会った“スゴイ”人物とは?」というものである。これについて私が書くとすればアマチュアの市民記者としての研修ということになるだろうが、先述した通りアマ記者に過ぎない私は研修などという高尚なものを受けたことがない。すべて図書館や書店などで入手でき得る限りの本を読みあさっての独学である。ゆえに、私にとっての研修とは本を通じて先達の技を真似ることであった。そのなかでも、先に紹介した投稿募集のページにある「その後の人生を変えるような素敵な出会い」という意味ではノンフィクション作家の野村進氏、正確に言えば氏の著書の『調べる技術・書く技術』(以下、『調べる―』と記述)との出会いが最も大きかったように思う。

 ちなみに、上に紹介した野村氏はかつて大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞をダブル受賞したノンフィクション作家であり、現在は拓殖大学国際学部教授として教壇に立たれている。氏の『調べる―』との出会いは、書店で求めたのちアマチュアで取材執筆を始める私の人生を変えたと言っても過言ではない。というのも、文章の書き方といったノウハウ本は数あっても取材論やルポルタージュ論関連の本は絶版や品切れなどで入手できないことも少なくない。こうした現状のなかで、テーマ選択から原稿の仕上げまで教えてくれる『調べる―』には大いに助けられている。最近放送が始まり、毎回欠かさずに視聴している連続ドラマに「最上の命医」や「大切なことはすべて君が教えてくれた」などがあるが、上に述べた意味では私にとっての「君」が他ならぬ野村氏というわけである。

 私の場合、いざ机に向かって文章を書きはじめようという時やペンを持つ手が進まなくなった時など、野村氏の『調べる―』を書棚から取り出して好きなところから読みはじめる。氏はペンを研ぎすませる「ペン・シャープナー」といった本や手帳を手元に置いておくことが重要だと語っているが、それを教えてくれる『調べる―』が私にとって「ペン・シャープナー」のひとつとなっている。実際、一流と言われるプロフェッショナルの深い言葉に触れると、よし私も書こうと文章を書く意欲が高まるのだから不思議である。ここでは、先述の投稿募集ページに記された「印象深かった先輩の言葉」として(私が仰ぐ文章の師表という意味で)、原稿の書きはじめや仕上げの前に読み返す氏の言葉を紹介したい。

 〈○自分の書いた文章を読み返すときには、必ず声に出して読むこと。黙読した際には「このままでよい」と思えた文章でも、声に出してみると、つっかえたり言いよどんだりするものだ。そのときには、ためらわずに書き直す。(中略)自分の書いた文章を声に出して読むことは、自分ならではのリズムに言葉を乗せることだ。あなたの文章の持つリズムこそ、あなたの個性である。だから、何度でも強調したい、自分の書いた文章は声に出して読もう、と。
○そして、推敲の労を惜しまない。『毎日新聞』の名物記者だった内藤国夫の、
「(自分が)書きやすいものは、(読者には)読みづらい。ラクして書いたものは、読むのに苦労する。反対に苦労して書くと、読む方は、読みやすい」(『私ならこう書く』、括弧は筆者)
 という指摘は、まさに正鵠を射ている。(中略)推敲のさなかに「もうこの辺でいいだろう」と中途半端なところで妥協してはいけない。自分がすっかり納得できるまで、書き直しをすることが、文章上達の秘訣である。〉
(野村進著『調べる技術・書く技術』講談社現代新書)

 ちなみに、上に挙げた理由から繰り返し読んでいるために私の手元にある『調べる―』は、本に巻かれている帯は黄ばんでボロボロ、本そのものにも手あかがついておりとてもきれいとは言えない。それほど何度も何度も読み返していると、記事冒頭で紹介した通り大学教授でもある野村氏から直接文章作法などを学ぶことのできる学生たちが堪らなくうらやましくなる。そう、マスコミ志望の学生にとっては、一流のジャーナリストから一足早く記者研修を受けられるのだから――。とは言え、学生でない以上はうらやんでも仕方のないことだと言われればまさしくその通りである。だが、それほど取材をしたり原稿をまとめたりする上で必要な知識を本を通じて教えてくれた大先輩、『調べる―』との出会いが私にとって大きかった。そのことを少しでも伝えられたのであれば、それを心から嬉しく思う。

2011年 新年のごあいさつ

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2011年の抱負を発表! テーマに参加中!
 明けましておめでとうございます。さて昨年を振り返ると、今流行のTwitterやライブ動画共有サイトのUSTREAMなどで一市民でも情報を発信できるようになりました。フリージャーナリストの岩上安身氏いわく、これらの手段を用いれば「今自ら発信できるチャンスがある」(「拝啓記者クラブ様 フリージャーナリスト大反省会2010」『ニコニコ生放送』2010年12月30日放送)と言います。今年2011年は、岩上氏の言う「今自ら発信できるチャンス」を活かして、地方出身・在住者取材など地方発の情報発信を考えていく所存です。と言っても、撮影機材どころかICレコーダーの1つすら持っていないのですが(笑)。取材するに当たって参考資料やインタビュー術の関連書籍等に目を通している段階です。これをただの準備で終わらせないためにも取材依頼や質問作成など可能な限り進めていくつもりです。

 上に述べた「地方発の情報発信」のみでなく、記者会見のオープン化問題など「中央省庁発の情報発信」についても考えたいと思います。中央省庁発の情報発信に関しては、これに比較的積極に努めていた鳩山由紀夫政権の退陣、その後を受けた菅直人新政権の発足で後退しつつあります。事実、今月4日に行われた年頭総理会見の会見時間は首相の冒頭発言を含め30分あまり、質疑応答の際フリーランスやネットメディアの記者で指名されたのは上杉隆氏のみです(「菅内閣総理大臣年頭記者会見」『首相官邸ホームページ』2011年1月4日付参照)。警察や検察、裁判所等の腐敗を追及しているフリージャーナリストの寺澤有氏などは質問どころか記者会見に出席すら認められず、通算8回連続拒否されています(フリーランスライター畠山理仁氏のツイッターより)。こうした状況が続くなか、昨年12月に行われた総理会見のなかで菅首相は記者会見について次のように語っています。「記者会見については、この今日の会見も含めて、私の会見は基本的にはオープンになっていると承知をしております。もしそうでないのであれば、それは改善しなければなりませんが、そのように私自信は理解いたしております」(「菅内閣総理大臣記者会見」『首相官邸ホームページ』2010年12月6日付。原文ママ)

 昨年の正月、私はパソコンに向かって鳩山由紀夫首相(当時)に宛てた小記事(「鳩山首相よ、きのうの日の言葉を軽んじることなかれ」『JanJan』2010年1月6日付)という記事を書いていました。それから1年のあいだに首相も交代し、今は「拝啓菅直人さま」と題した記事をまとめています。その内容はやはり、今回の記事でも紹介した民主党政権の1丁目1番地である情報公開で、記事中には以下の言葉を盛り込みたいと考えています。「菅首相よ、平成の開国と言うのならば記者会見・記者室の『無血開城』要求を記者クラブに突きつけよ」と。こうした会見オープン化の関連記事を書きながら、今年の抱負とした「情報発信を考える」ようにしたいと思いますが、ひとまずここで筆を擱きたいと思います。本ブログ読者の皆さまにとって、今年が素晴らしい年となりますことを心からお祈りしつつ。

   平成23(2011)年 新春
大泉 千路

【ジャーナリスト】池上彰のリンク集

 今回少しブログの趣向に変えて紹介するのは、フリージャーナリスト池上彰氏のリンク集である。分かりやすいニュース解説で人気が高まっている池上氏だが、今現在公式ウェブサイトが開設されていない(少なくとも私の知る限りでは)からこそそのまとめ価値も高い。それは、かく言う私のような池上ファンにとってはなおさらである。このまとめは、非常によくまとめられた、まさに秀逸な「まとめ」だと思う。

『JanJanBlog』の市民記者懇談会に行ってみたら

 9月26日、東京都新宿区歌舞伎町・喫茶室ルノアール新宿区役所横店の貸会議室にて「第2回『JanJanBlog』市民記者懇談会」が開催され、私もこの懇談会に参加するために上京した。

 懇談会当日、会場近くにある東京都庁展望室や新宿中央公園を見て回ったあと、都庁本庁舎の停留所から「新宿WEバス」(新宿駅周辺を循環するコミュニティバス)に乗車して歌舞伎町へ。バスに乗った時は、子供連れのお母さんしかおらずに空いた状態であったが、どこまで乗っても運賃一律であるから東京観光の際はぜひ活用してほしい。新宿駅西口を経由して無事歌舞伎町の停留所に到着、下車したあと、事前に印刷していた地図で目的地を確認してからその方向に歩きはじめた。だが根っからの方向音痴がたたってか、いくら歩いても目的地にたどり着けない。少し焦りながらも、また地図を見ながら新宿区役所の周辺を何周かしたところで会場にたどり着けた。

 喫茶店のなかに入る前に時間を確認すると、貸会議室に入れる開場時刻にはまだ時間がある。そのため、その日まだ済ませていない昼食を取ることにして喫茶店のなかへ入った。自動ドアを抜けると、店員嬢との「お煙草はお吸いになられますか」「吸いません」というやり取りのあと、ゆったりとした丸いソファーが置かれた禁煙席に案内される。テーブルに備え付けられたメニュー表を見てソフトドリンクとトーストのセットを注文すると、ふっと肩の力が抜けて周りにいる男性客をしばらくぼうっと眺めた。非常に心地よい音楽が店内に流れているなかで、気ぜわしく携帯電話で話したりパソコンで何やら作業をしているビジネスマンの姿がある。それらの客の様子を眺めていると、ホストらしき男性が店の前に立っている目の前の通りとは別次元にいるかのようであった。

 少しして店員嬢が持ってきたコーヒーを飲んで一息つき、そのあと出されたトーストにかじり付く。下品な言い方ながらそうした至福のひとときを過ごしたあと、会計を済ませて店内の階段で2階の貸会議室へと向かう。細い階段を上ると通り一列にいくつもの個室が並んでいたが、そのうち懇談会場となる個室のみ扉が開いている。懇談会の開始時刻が迫っていたこともあって躊躇なく個室のなかに入ると、「遅くなりました、大泉です」と言って椅子に座っている参加者に挨拶した。参加した市民記者の多くは、意欲的に記事投稿を続けている『JanJan』時代からの有力記者。その他に『JanJanBlog』運営委員会からは、元編集部デスクの山口朝氏や元編集部システム担当の葛西氏が出席した。

 こうして椅子に座っている参加者に挨拶したあと、以前『JanJan』の市民記者懇談会に参加して面識のある山口氏らと二言三言言葉を交わす。氏の近くの椅子に座ってから筆記具や大学ノート(ちなみに、取材の際に椅子だけで机がない場合は小型のメモ帳を愛用している)を取り出していると、「まだ来られる方がいると思いますので、もうしばらくお待ちください」と山口氏。しばらく待ってみるが誰かが入ってくる気配もないため、「もう来られている方もいらっしゃいますのではじめましょう」ということになる。かくして『JanJanBlog』の第2回市民記者懇談会が始まった。

 今回の市民記者懇談会では、まず『JanJanBlog』運営委員会の代表である山口氏が「JanJanからJanJanBlogへ」と題する冒頭スピーチを行った。ちなみに、氏のスピーチは今年6月に行われた「市民記者懇談会in京都」と同じ内容であり、それもあってなかには今回の懇談会に参加を見合わせた市民記者もいたという。ここでは、懇談会冒頭に語られた約30分のスピーチのなかから、3つについての発言をピックアップして紹介したい。まず1つ目は「新ニュースサイト設立にまつわる経緯」について、2つ目は「ビジネスに対する運営委員会の考え方」について、最後3つ目は「オープン化省庁会見への市民記者参加」についての発言である。

 1つ目は、「新ニュースサイト設立にまつわる経緯」についての発言である。

 山口氏いわく「今年に入って色々な模索をしてきたが、ツカサネット新聞やオーマイニュースを見ても分かるように維持費を捻出するのが大変。それを捻出するのが難しい」。それでも、『JanJan』暫時休刊の発表やその後のネットニュース報道後には現役の市民記者や読者から「(サイトを)ぜひ残してほしい」と大きな反響があったという。それもあって、維持費の捻出という問題を抱えながらも「執筆力がある人もいるのでチャレンジをした。議論をした結果、現在の(サーバー代以外に維持費のかからない)スタイルのブログサイトになった」と、サイト設立の経緯を明らかにした。

 これは私の勝手な憶測ではあるが、『ツカサネット新聞』や『オーマイニュース日本版』が様々な事情からニュースサイトの閉鎖や休止を余儀なくされ、『JanJan』が日本の市民メディア最後の砦となっていただけに、それだけニュースサイトの存続を求める声が根強かったのであろう。そうした記者や読者からの求めに応じて首の皮一枚を残してくれた運営委員会の方々には、個人的によくぞと言って心からの拍手を送りたい。様々な人々の尽力があって首の皮一枚繋がったからには、この新しいサイトを市民記者の力で盛り上げ、市民記者の数を増やしていかねばならない。それに関しては、ミニ懇談会の開催など以下に紹介する提案に繋がっていくものと考えている。

 2つ目は、「ビジネスに対する運営委員会の考え方」についての発言である。

 旧『JanJan』の登録市民記者数は7千数百人、そのうち個性的な記者からの投稿も多く寄せられていた一方、現在の『JanJanBlog』に衣替えしてからの登録市民記者数は現在約170人あまりだという。そのなかから実際に記事を執筆、投稿する市民記者がいるわけだが、私個人の実感として現状その数は必ずしも多くないように感じられる。だが、「皆さんが記事を書いてくださればサイトのパワーが上がってゆく。現状そうなりつつある」と山口氏は明るい展望を語る。氏が語るこの展望には、できる限り執筆に時間を費やす市民記者には勇気づけられるものがあった。スピーチのなかで「営利は関係なく良い記事を載せていきたい」との抱負を語る氏であったが、ニュースサイトの持続可能性を高めるために広告収入といったビジネスを念頭に置いているところは非常に安心できる。

 ちなみに、今年7月に名古屋大学で行われたパネルディスカッション「日本のジャーナリズムはネットで育つか?」のなかで、日本インターネット新聞社社長の竹内謙氏は自らの会社経営について次のように述べている。「で実は私の会社はCSR的に企業が応援をしてくれるところがありましてですね、私は経営のことなんか何も考えない、もうただ単にジャーナリズム一点張り、それだけ考えていたのが私の立場でありまして、お金儲けをしようとか広告を集めてこようとかですね、そういうことはまあ8年間一切考えずにきたものですから、春名さん私にビジネスのことを聞いてもほとんど役に立たないと思いますですね」と。パネルディスカッションのなかで竹内氏は笑いながらこう語っているが、以前ツイッターにも書いたように社長がビジネスを考えない株式会社などうまく行くわけがない。維持費を特定企業に頼っている場合、その会社が危うくなった際の維持費、ビジネスを考えてしかるべきだ。その点では、一組織の代表者としてビジネスに対する考え方が山口氏と竹内氏とでは大きく異なることに胸をなで下ろしている。

 形式的に研究目的の学生など市民記者以外も参加できたとは言え、懇談会では市民記者と運営委員会メンバーを交えた内輪話があってここでは明かせないことも少なくない。それでも山口氏のスピーチを聞いた限りでは、ニュースサイトとしての持続可能性を念頭に置いたある意味での経営、そして市民記者が良質な記事を書ける環境づくりについてもよく考えてくれているとの印象を受けた。氏のような存在があるからこそサイト閉鎖といった不安を感じずに、取材から記事投稿まで孤軍奮闘となる編集作業にも没頭できる。このスピーチのなかで「自分でなくても(現在のブログサイトの)運営は続けられる」と自虐的に語っていたが、サイトの持続可能性を強調する氏の手腕には大きく期待したい。

 3つ目は、「オープン化省庁会見への市民記者参加」についての発言である。

 山口氏によれば「『JanJanBlog』は日本インターネット報道協会に加盟していない」というが、それでも様々な問い合わせがあるということで会見参加の現状と方法について紹介がなされた。各中央省庁のなかで記者会見のオープン化が進んでいるなかで、会見参加を望んでいる市民記者のために氏の発言を紹介したい。記者会見のオープン化問題に関する発言は以下の通りである。「総務省、外務省など各省庁によって(会見オープン化の形式が)異なる。審査登録をパスした市民記者もおり、それを妨げるものではない。ただ、それらの審査登録は大変なようだ。アマチュア、プロということはあまり関係ないらしい。会見に参加されたい方はその省庁について研究してみてほしい。分からないことがあれば、運営委員会のほうに問い合わせていただきたい」

 さて、山口氏の冒頭スピーチの次に行われた質疑応答と自由討論では、今回市民記者懇談会に参加した委員会メンバーに対する質問、これまでに『JanJanBlog』に投稿した記者はその経験からの感想を一言ずつ述べることになった。そのトップバッターには、ちょうど進行役である山口氏の席から1番近いところに座っていた私が選ばれる。まず以下では、私がその場で述べた『JanJanBlog』に投稿してみての感想を再現してみたい。

 〈(進行役の山口氏から、まず大泉さんから質問や意見の発言をと求められ)分かりました。(質疑応答・自由討論の)トップバッターを切らせていただきます大泉千路です。『JanJanBlog』に投稿してみての感想を一言述べたいと思います。私はキャッチボールと言っていますが、編集作業が(ブログサイトの開設を機に)なくなったから記事を書かなくなったという人がいる。そういう意見は必ずしも否定しませんが、これまでいくつかの記事を投稿した経験から言えば編集作業がなくなったからこそ文章が上達したような気がします。例えば、これまで以上に文章をよく見直すようになったとか。だからこそ、この5ヵ月間のあいだに書いたのはたった4、5本なのです。その意味で、(市民記者を信頼して編集作業の権限を渡した)『JanJanBlog』には心から感謝しています。拙くてすいません、特に心の準備ができていなかったもので。(ご清聴)ありがとうございました。〉

 これを読んでも分かるようにまったく取りとめのない話で恐縮してしまうが、それでもなかにはメモを取ってくださる方がいたことは大変ありがたかった。また、私の発言以降に出された他の市民記者からの質問や意見には、ここで初めて明らかとなった事実を引き出すほど鋭い指摘が多かった。例えば、旧『JanJan』掲載の記事アーカイブの保存について質問を投げかけると、「過去記事の閲覧は、年内は大丈夫。記事の保存について発表するつもりだが、それはもう少し先のことになる」という運営委員会メンバーからの回答。その他には、委員会メンバーが記事のプリントを示して、米紙『ニューヨーク・タイムズ』掲載のJanJan取材記事を紹介する一面もあった。

 「その記事を『JanJanBlog』で紹介してはどうか」という市民記者からの要望に「あまり良い内容ではないので」と山口氏は苦笑しながら返していたが、今回の記者懇談会に参加しておらず、記事の存在を知らない読者のために同記事のタイトルや掲載日などを記しておきたい(Martin Fackler, “Ink Gushes in Japan's Media Landscape”, The New York Times, June 20, 2010)。ちなみに、『ニューヨーク・タイムズ』東京支局長のマーティン・ファクラー氏が書いたこの英文記事については、氏の取材を受けた竹内謙氏が先に紹介したパネルディスカッション動画のなかで内容を要約、紹介している。英語が分からないためにこの記事が読めないとお嘆きの方は、英和辞典でパラパラと調べられるか、もしくはこのパネルディスカッション動画をご覧いただければ幸いである。

 自由討論のなかでは、市民記者の側から建設的な提案もいくつか挙げられた。そのなかでも、一番実現性があると感じられたのは市民記者の交流、具体的にはオフ会や本の著者を招いての読書会である。この件に関する一連のやり取りをここに記しておきたいと思う。「著者との読書会をやれば良い」「山口さんの手を煩わせるのではなく、読書会を市民記者の連絡会にすれば良い」「『JanJanBlog』に市民記者のコミュニティースペースを作ればよい」「ミニ講演会をやれば良い」「そういう会をやることで刺激になる」などなど。山口氏はこれらの声に「そういう提案があれば喜んで我々もトップページに告知を掲載します。ミニ懇談会なども皆さんでやっていただくと良いのではないかと思います」と応じた。個人的には市民記者の自主的なミニ懇談会について、ミクシィといったSNSや今話題のミニブログ、ツイッターを通じた呼びかけなどを今後考えていきたい。

 これらの質疑応答や自由討論が一通り終わると、進行役の山口氏に促されてサイトのシステムに関する意見をひとつ述べた。『JanJanBlog』に投稿する記事にGoogleMapの地図を貼りつけられないことについてである。すると早速このシステム上の問題に対応してくださり、そればかりか問題に対応したことの報告メールまで個別に送ってくださった。そのメールによれば、「調査を行い解決法を記事として公開しました。(中略)記者の皆様に共有していただけることを期待しています」とのこと、ここに同記事を紹介して他の市民記者と共有できればと願う(「記事に地図(GoogleMap)を貼る方法と注意点」『JanJanBlog』2010年10月6日付)。こうして今後に繋がる建設的な提案、白熱した議論を生んだ懇談会が終了したあとも、参加した市民記者のあいだでは和気あいあいと立ち話が交わされた。

 運営委員会メンバーの方々に挨拶してから、他の市民記者と一緒に貸会議室を出たところで、下の階の喫茶店でお茶をしようということになった。いわゆる2次会というべきであろうか。私も他の記者に誘われて数人の市民記者のみの2次会に参加した。それから各自注文したコーヒーなどを飲みながら談論風発、そうした2時間のあいだは記者懇談会に比べてディープな話題が多かった。例えば、アメリカ同時多発テロへの米国政府関与説から今論議となっている尖閣諸島の領有権問題まで。聞き手としてそれらの会話に耳を澄ませている時、玉石混交と言われるインターネット情報のなかから嘘か真かを見極める能力、情報を鵜呑みにせず自分の頭で考えるということの重要性を感じた。

 その後2次会を終えて、カウンターで割り勘での会計にしてもらい個々に会計を済ませる。全員料金の支払いを済ませて皆で喫茶店を出ると、すでに日が落ちて街中は大分暗くなっていた。喫茶店のある通りにはやはり店の前に黒服の若い男性が立っており、いわゆるネオン輝く繁華街と化している。他の市民記者の面々は固まってその通りをスタスタと歩いて行くが、喫茶店外観の写真を撮るためにそのあとを追いかけなかった。以下は、その時に携帯電話のカメラで撮影した写真である。数枚撮影したあと徒歩で新宿駅東口に向かうが、その途中にクラブ勤めらしき着飾った女性たちが目の前を通り過ぎていく。そうだ、ここはまぎれもなくあの新宿歌舞伎町なのだ、と田舎暮らしの私が実感した瞬間であった。

 謝辞
 今回のレポート記事の執筆過程では、『JanJanBlog』運営委員会代表の山口朝氏のご協力を賜りました。この場を借りて、お忙しいところに原稿の確認作業を引き受けてくださったことに対して、蕪雑ながら御礼を申し上げます。私がボールすなわち掲載前の原稿を送り、それに元『JanJan』編集部員の山口氏に事実関係の誤りなどを記して返送していただくという、いわば言葉のキャッチボールを久しぶりに楽しむことができました。市民記者や読者の皆さまには、今回の記事を読んで少しでも実際の懇談会の空気を感じ取っていただければ幸いです。末筆ながら、記事中で発言を紹介した他の市民記者や運営委員会メンバーの方々に感謝しつつ、ひとまずここで筆を擱くことにします。

(「『JanJanBlog』の市民記者懇談会に行ってみたら」『JanJanBlog』2010年11月13日付より)

今月30・31日に「山梨において自殺問題を考える集い」

〈今月30、31日に山梨県甲府市の県立文学館講堂で「山梨において自殺問題を考える集い」が行われる。30日は弁護士の宇都宮健児氏、31日は反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠氏が講演、主催者によるとサイン会も行う予定とのこと。興味ある方はぜひどうぞ。http://is.gd/fJU6i〉(筆者ツイッターより)。以下、「いのちのフォーラム」代表・中下大樹氏のブログからの転載ながらご一読願えれば幸いです。

―――――――――――――――――――――――――――――――――以下転載

10/30,31に山梨県立文学館講堂に行われる【山梨において自殺問題を考える集い】は、インターネット中継を致します。

インターネットに接続されている方は、以下のアドレスから無料でご覧になることができます。
http://www.ustream.tv/channel/5674111

中継開始時刻
10/30 13時スタート
10/31 9時半スタート

=集いの詳細=

山梨において自殺問題を考える集い
〜生きがい・希望の持てる社会を目指して、私たちが今出来ること〜

●10月30日 12時開場・13時スタート・17時半終了予定

・反貧困ネットワーク代表 宇都宮健児弁護士基調講演

・日弁連より自殺対策における取り組み報告

・自死念慮者、遺族、自殺防止に関わる方より現状報告

・パネルディスカッション

 宇都宮健児 弁護士

 クレジット・サラ金被害者連絡協議会事務局長・本多良男

 山梨いのちの電話・小島章弘

 精神科医・根本直幸

 山梨県立大学看護学部教授・清水惠子

 コーディネーター・中下大樹

●10月31日 9時開場 9時30分開始 11時30分終了

・山梨県の自殺対策における取り組みと報告

・反貧困ネットワーク事務局長 湯浅誠さん特別講演会

◇参加費 1日500円(「自殺と貧困から見えてくる日本レポートブック」をお持ちの方は無料)

場所:山梨県立文学館講堂
 http://www.bungakukan.pref.yamanashi.jp/info/main05.html
 お近くの方は是非会場へ足をお運びください。

―――――――――――――――――――――――――――――――――転載ここまで
(「30・31日の山梨集会は、ネット中継を行います!」『中下大樹のブログ』2010年10月29日付より)

映画「サウダーヂ」クランクアップ記念イベント潜入記

 はじめに
 今月11日、山梨県甲府市の甲府銀座通り商店街にて、映画「サウダーヂ」(来年公開予定の富田克也監督最新作)のクランクアップ記念イベントが開催された。この記念イベントは、同11日から26日まで行われる「こうふのまちの芸術祭2010」のオープニングを飾る連動企画だという(http://kofuart.net/kofuartevent.pdf)。今流行のツイッターでイベントの開催を知った私は、以前に同映画の制作発表イベント取材などでお世話になった富田監督にイベント取材を申し出る。すると後日、是非いらしてください、お待ちしていますという快諾の返事が返ってきた。

 そこでイベント開催当日、1年にも及ぶ撮影が終了したお祝いを兼ねて記念イベントに駆けつけたというわけである。以下は、先述した映画の制作発表に引き続いて取材を行い、拙いながらも書き上げたイベント潜入記である。記事の終わりでは、イベント関係者にあえて厳しい苦言を呈したが、過去、そして今回の映画関連記事に込めた映画制作を応援する気持ちはまったく変わっていない。序文のなかでそのことに触れたうえで、映画制作を応援する一市民としての思いが『JanJanBlog』読者、そのなかでも記事中で紹介するイベント関係者に届くことを願っている。

 映画クランクアップ記念イベント潜入記
 今回の映画クランクアップ記念イベント会場の近くにある「中華レストラン さんぷく」で食事を摂り、コーヒーを飲みながら取材前の資料読みを済ませたあと、記念イベントが始まる予定時刻の15分前に会場に到着した。商店街アーケードの中心に吊られたスクリーンの周りにはすでに黒山の人だかりが。少し離れたところからそうした会場の様子を見て、観客の熱気で開始時刻が早まるように感じたため、急いで近くの公衆トイレに寄って会場へと戻る。だが、息を切らして商店街アーケードに駆け走ったものの、すでに会場のなかからは音楽が流れはじめていた。

 歩行者のあいだを通りぬけながら黒山の人だかりに近づくと、スクリーンの近くに並べられた2、30ほどのパイプ椅子には多くの家族連れや夫婦が座っており、その横では若い観客が立ち見でライブパフォーマンスを眺めていた。観客は必ずしもライブ会場にいるような熱狂的な若者ばかりではなく、小さな子どもを連れた家族からお年寄りまで幅広い層に渡っている。それは今回の記念イベントのみならず、昨年9月の制作発表イベントやエキストラとして臨んだ撮影現場にも共通する光景であった。これだけ幅広い層の観客を集める富田監督ら映画スタッフの人徳、後述するヒップホップグループの人気には心から恐れ入るばかりである。

 それらの観客のなかでも私は大分遅く会場に到着したが、幸いにもパイプ椅子の座席はまだところどころに空席が残っていた。ぽつぽつと空いている空席に座ってからメモ帳や筆記用具をカバンのなかから取り出すと、映画の主要キャストでもあるヒップホップグループ、LIL MAX(ブラジル)の生ライブにしばらく耳を傾ける。このヒップホップの野外ライブでは、私にとっては爆音に近い大きな音が出ているように感じられたが、それが不快ではなくむしろ心地良くすらあるから不思議であった。必ずしもすべての曲が日本語ではないため歌詞が分からないところもあったが、それでも彼らの音楽から伝わってくるものがあったことはここに強調しておきたい。

 ライブの合間には、イベント会場で配られた映画のチラシに目を落としている椅子の席の観客もいれば、その隣で立ち見のスタッフらしき人々が何か飲みながら談笑している。終始会場のなかはワイワイガヤガヤ、シャッター街と呼ばれる中心商店街が一時とは言えども賑わいを取り戻したように見えた。数曲を披露してライブ出演を終えたLIL MAXのメンバーは、脇の通路で肩を組みながら笑顔で写真を撮っている。記念イベントを様々に楽しんでいる観客や出演者の様子を眺めていると、アーケードを通り抜ける生暖かい風が次第に冷たい風へと変わってくるのが感じられた。

 次に、LIL MAXと同じく主要キャストとして映画に出演したstillichimiya(山梨県笛吹市一宮町)がヒップホップライブを始めると、携帯電話のカメラで撮影したり音楽に合わせて体を動かす若い観客で一気にその場が熱気を帯びてきた。こうした観客のただならぬ熱気からも、このヒップホップグループがいかに若者のあいだで知名度と人気が高いかが伺える。音楽のテンポに乗りながら片手を上げて手首を上下に振る観客、そして音楽に乗せて一宮への思いをぶつけるstillichimiyaのメンバーの姿からは、有名人のオーラと同じように同世代の体内にみなぎる活力、今この時にしかない若さというエネルギーがひしひしと伝わってきた。

 ただ、パイプ椅子に座っている周りの観客は年代が高いからだろうか、立ち見の観客とはまったく正反対であった。若い観客のように声を上げず、手拍子もあまりせずに冷静に彼らの歌を聴いている。後ろの席から見ていても、立ち見とパイプ椅子の席の観客とではその空気に明らかな違いが感じ取れた。ライブそのものに話を戻せば、映画の制作発表が行われた屋内とは打って変わってイベント会場が野外となった今回は、音割れが激しく歌詞が聞き取りにくかったのが残念であった。だが、そのなかでも合間のトークはもちろんのこと、CapoeiraNARAHARIとの共演を見ることができたのは大げさでなく両グループの一ファンとしては非常に嬉しかった。

 計2組のヒップホップグループのライブ終了後、次に行われる映画「Furusato2009」上映の準備に時間がかかるなかで、先述したCapoeiraNARAHARIがカポエイラ(2人で行うブラジル伝統の格闘技)や楽器演奏を披露。カポエイラ自体映画「サウダーヂ」の制作発表で初めて見たが、昨年10月2日付の『JanJan』に掲載された「映画『サウダーヂ』制作発表イベント潜入記」に書いたように「観客は彼ら彼女らの熱演に圧倒され、思わず息を呑んだ」。かく言う私も、彼ら彼女らの熱演に圧倒された観客の一人である。序文のなかで紹介した記念イベントのチラシにはCapoeiraNARAHARIの文字がなかったため、今回はあのカポエイラ実演は見られないのかと残念に思っていただけに嬉しいサプライズであった。目の前でカポエイラ実演が行われると、観客席からは時折「オー、オー」という驚きの歓声が上がっていた。

 ちなみに、このカポエイラ実演の前には、近くで映画のスタッフと話した後の富田監督と挨拶を交わした。「おかげで良い記事を書くことができました」とこれまでの取材協力にお礼を述べたあと、「今回も(イベントの紹介記事を書かせていただいて)よろしいですか」と尋ねると、富田監督からは即座に紹介記事の掲載をお許しいただけた。そのあと、「すいません、ちょっとドタバタしているもので」と言って映画の上映準備に戻る監督の後ろ姿にお忙しいところを失礼しました、と言って深く頭を下げた。その時にやり取りした会話を思い返すと、先述の通り映画上映の準備で忙しいところを悠長に挨拶したわけで冷や汗が出てくるが、そうした不躾な取材者にも温かく接してくださった富田監督には心から感謝してやまない。

 ヒップホップライブではアーケードのやや端に並べられていたパイプ椅子を中央に並べ直して上映という前には、映画のエグゼクティブ・プロデューサーを務める笹本貴之氏から上映映画についての説明があった。以前制作発表イベントで聞いた話では、富田監督らが撮影したリサーチ映像がもととなった「Furusaso2009」は本編映画の長い予告編とのこと。今回の笹本氏の説明によると、その本編となる映画「サウダーヂ」は来年の春ごろに公開される予定だという。最後には、笹本氏から映画制作カンパについても紹介がなされ、募金箱を持って回るスタッフが深く頭を下げながら「カンパにご協力お願いします」とカンパ協力を募っていた。カンパについては、また後述するつもりである。

 上映映画についての説明を終えた笹本氏から「もうしばらくお待ちください」との一言があった後、商店街アーケードのなかの照明を暗くして「Furusato2009」の上映が始まる。映画のなかで「お金ない人学校行けない状況になってるんですよ。食費が払えないから」と話す外国人労働者、過酷な労働状況を強いられている建設労働者らが語る「我が窮状」には粛然とさせられるものがあった。また、こうした生活を送るなかでも、音楽に合わせて歌い踊る彼らの姿には何度観ても心を打たれる。約1時間の上映が終わると観客席から自然に拍手が巻き起こったが、多くの名もなき人々の話に真摯に耳を傾け、この映画の公開に結実させたリサーチャーとしての映画スタッフに改めて拍手を送りたい。

 映画「Furusato2009」や県内初公開となる予告編(一言で言えば、早く通しで観てみたいと期待が膨らむ内容であった)が上映された後、富田監督と笹本氏によるトークライブが行われた。両氏の自己紹介から始まったこのトークライブのなかでも、私が注目した発言はライブ冒頭で語られた映画公開の詳細についてである。「まず第1回の公開と言いますか、試写をやろうと思っています」と富田監督が語ると、「そうですね」とそれに応える笹本氏。富田監督によれば、「まず甲府で試写会をやって、そのあと映画祭に出品する」という。「まず甲府で試写会を」との発言には、まずこの作品は甲府の皆さんに観てもらいたいという甲府出身の監督の思いが感じられた。

 こうして3時間にも渡る記念イベントの最後に語られた富田監督の言葉を紹介しておきたい。「(映画「サウダーヂ」は)土方、移民、ヒップホップの3本柱、いろんな人が出ている群像劇でやっている。ホームページを見て何か感じた方は、(制作協力カンパなどで)ぜひご協力をお願いします」と。この場を借りて、氏の言う映画特設サイトのアドレスを記しておきたい。特設サイトのアドレスは「http://www.saudade-movie.com」である、ぜひ一度サイトそれぞれのページを開いてみていただきたい。かくいう私も、近いうちに郵便振替を通じて映画制作の支援にカンパするつもりである。

 イベント会場が賑わいを見せるなかで、ワイワイガヤガヤとした中心商店街に懐かしさを感じる、まさにサウダーヂ(郷愁)な一夜で非常に楽しいイベントであった。そう、確かに楽しいイベントではあったが、イベント取材のなかでは何か違和感を感じていた。というのも、記事中で紹介したヒップホップライブや映画、予告編上映の最中、パイプ椅子を並べたり巨大スクリーンを吊って狭くなった通路を、自転車を引きながらライブや映画を観る観客に頭を下げて通っているお年寄りの姿、イベントを行っている横で細い通路が混雑している様子が多く見られた。

 本当に頭を下げなければならないのは、通行を邪魔された歩行者でないのではないか――。このレポート記事を書きながらこうした自問自答を繰り返して思うのは、イベント関係者にはやはりもう少し歩行者に対して心を配ってもらいたい、ということである。イベント終了後、ごみ袋を用意して「ごみはこちらにお願いします」と呼びかける光景が見られたからこそ、そのちょっとした配慮が欠けていたことが少し残念に思えた。ここで、自分たちが良ければ良いのかなどと言うつもりはないが、イベントを行っている横で先に紹介したようなお年寄りの姿や通路が混雑する光景があったことをどうか忘れないでもらいたい。

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映画「サウダーヂ」制作発表イベント潜入記―JanJanニュース
http://janjan.voicejapan.org/culture/0910/0909019616/1.php
映画「サウダーヂ」にエキストラ出演しました―大泉千路のブログジャーナル
http://c-oizumi.doorblog.jp/archives/51674300.html

(「映画『サウダーヂ』クランクアップ記念イベント潜入記」『JanJanBlog』2010年9月23日付より)
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